昇平てくてく日記2

小学校高学年編

昇平のおいたち・1

昇平は1995年8月26日に、私の実家がある郡山市内の病院で誕生しました。
陣痛微弱のうえに、早期破水。しかも、高位破水という子宮の上部に穴があくタイプの破水だったので、直後に診察を受けていたのに、プロの産科医や助産婦たちでも破水に気づかず、「これはなんだかおかしい」と私が気がつくまで、24時間近くそのまま放置することになってしまいました。いや、陣痛が来てお産が始まってからも気づいてもらえず、羊膜を人工的に切開する段階になって羊膜が自然になくなっていたので担当の助産婦が焦った、といういわく付きでした。
幸いお産そのものは自然に進んで、日付が変わる寸前の夜の11時25分に昇平はこの世に生まれてきました。とても大きな産声の、元気な赤ちゃんでした。長男のときには羊水を飲んで生まれてきて、すぐには産声を上げられず、吸引されてやっとオギャァと泣いた経験があったので、産室中に響き渡る昇平の声がとても嬉しく聞こえたものでした。

ところが、破水後丸一日放置してしまっていた間に、やはり羊水の中に細菌が入り込み、昇平は新生児肺炎を起こしてしまいました。生まれた翌日には、同じ病院の小児科病棟に入院。ガラスの保育箱に入れられた昇平を、一日に三度見舞いに行って、絞った母乳を届けました。母乳はなかなか出ませんでした。陣痛微弱の間に打たれた促進剤の影響で、直後は乳の出が悪くなるのだと言うことを、後になってから知りました。それでも、初乳には免疫があるというので、私は必死で母乳を絞って届けました。15cc、20ccというような、ほんのちょっぴりの母乳を、看護婦さんは半ばあきれ顔で、それでも「お母さんのお乳は赤ちゃんには一番だものね」と言いながら受け取って飲ませてくれました。
今思えば、あれぽっちの母乳が何の役に立っただろう、と思います。後で書きますが、昇平は哺乳瓶で飲んだミルクを直後に一気に吐き出してしまうような、そんな赤ちゃんだったのですから。それでも、私は母として、なんとか昇平を元気にしてやりたくて必死でした。新生児病室から聞こえてくる昇平の泣き声は、ひときわ大きく元気で、それが私を励ましてくれました。「大丈夫。ぼくはこんなに元気だよ」と昇平が言ってくれているようでした。

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昇平の誕生の様子を詳しく書いたのには訳があります。
ADHDや自閉症などの発達障害の原因に、「出産時の異常による」と言われることがあるからです。
発達障害は、脳の中に十分に機能しきれない場所が部分的にあるために引き起こされるのだろう、と推定されています。(本当の原因はまだはっきりしてはいません。) 出産時になにかトラブルがあったために、脳に微細な障害を負って、そのためにADHDや自閉症になった、と言われることもあるのです。
昇平がADHDだと診断されたとき、私は真っ先にこの出産時のトラブルを思い出しました。
破水していたのに丸一日も気づいてあげられなかった。そのために生まれてすぐに肺炎を起こしてしまったけれど、それだけでなく、実は脳にも障害を負っていたのかもしれない。
経験豊かなプロの産科医や助産婦でさえ、高位破水は気がつくのが難しいと言います。それは起きてしまったらどうしようもないことなのですが、それでも、「あのときもしも、もっと早く気がついてあげられたら……」と思わずにはいられませんでした。それが避けようのない事故や偶然であったとしても、親、特に母親は、子どもの障害を自分自身の責任と感じて、自分を責めてしまいやすいのです。

けれども、間もなく、私は別のことを思い出しました。
それは、まだ昇平がお腹の中にいた頃のことです。そろそろお産が近くなってきたから、というので、お腹にコードの付いた吸盤を貼り付けて、モニターでチェックをするという検査を受けました。赤ちゃんが安静にしている状態のときでないと正確な結果が出ないので、「お腹の赤ちゃんが動いたら、これを押してくださいね」とコードが付いたスイッチを渡されました。波線の現れるグラフ用紙に、胎動していたときを記入するためのスイッチでした。
ところが、昇平は胎動が本当に激しい赤ちゃんでした。お兄ちゃんのときとは比べものにならないほど、お腹の中でしょっちゅう動き回り、大きくなってくると、足でポカポカと子宮の壁を蹴飛ばしてきました。これがけっこう痛くて、「あ、いたた!」なんて思わず声を上げることもありました。
検査のために横になった私は、しょっちゅう胎動のスイッチを押さなくてはなりませんでした。本当にひっきりなしです。5分とおとなしくしていなかったような覚えがあります。おかげで普通なら30分くらいで終わるはずの検査に、私は倍以上の時間がかかりました。
胎動のサインだらけの検査結果を見て、「ずいぶん元気な赤ちゃんだねー」とお医者様は笑い、ベテランの助産婦さんは「これはきっと男の子だわね」と予言しました。

ADHDというのは、注意欠陥・多動性障害と訳されるとおり、多動、つまり動きが活発だという特徴を持っています。(ただし、不注意の特徴のほうが強くて、動きはあまり激しくないタイプのADHDもあります。)
出産時のトラブルで昇平がADHDになったのかもしれない、と考えたとき、私はこの妊娠中の検査を思い出したのです。
昇平はお腹の中にいる頃から、すでに多動だったんだ……。
破水しようが、正常に生まれてこようが、昇平はその前からもうADHDだった。これは彼が持って生まれてきた、もともとの障害。誰かの過失でもなんでもなく、ただ、昇平がそう生まれてきてしまったというだけのことなんだ。
そう気がついたとき、なにか、ぽろりと胸のつかえが落ちたような気がしました。
この子が障害を持って生まれたのは母親である自分のせい、という呪縛から解き放たれたのだと思います。

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私は幸い、妊娠中のエピソードを覚えていたので、割と早く「責任の呪縛」から逃れることができました。
でも、そういうものがなくて、いつまでも「あのときのあれが原因かもしれない」と思い悩む母親もいます。
この子をこんなふうになったのは、お腹の中で健康に育ててやれなかった自分の責任、と自分を責め続けるお母さんも大勢います。
幸い、私は妊娠中とりたててストレスらしいストレスもなく、しっかり栄養のあるものを食べ充分休息もとっていたので、「これだけのことをしてもADHDになっちゃったんだから、私にはどうしようもなかったわよね」と割り切れましたが。(笑)

障害の原因探し、責任探しをしていても、なにも進展はないのです。
あきらかに誰かの過失で障害を負ってしまったのなら、賠償のこともありますから、しっかり責任追及しなくてはなりませんが、発達障害はたいていそういうものではありません。原因も、遺伝説、環境説、化学物質説、いろいろあります。
だけど、そういうものを探し出すのに必死になって、肝心の「子ども」がおろそかにされてしまったら、それはまったく本末転倒では? と言いたくなるのです。
原因がわかったって、子どもの障害は消えません。誰かを責めてどなり散らしている間にも、あるいは、自分を責めて落ち込んでいる間にも、子どもは刻一刻と成長していきます。それは、親をはじめとする、大勢の人たちの手助けが必要な成長です。
短期間で「責任の呪縛」から解放されたおかげで、私は診断とほとんど同時に、「じゃあ、どうしていったらいいか?」と先のことに目を向けることができました。昇平の必要とする手助けを見つけることのほうに、自分のエネルギーを振り向けることができたのです。気持ちを切り替え、見るべきものを変えるのは、大事なことだと思います。

親が自分の子どもの障害のせいで自分を責めてしまうのは、どうしようもないことだけれど……。
でも、もしもあなたがそう感じている親だったら、どうかそれは心の奥底にしまっておいて、とにかく子どもとのこれからの時間を見つめてほしいな、と思います。責任追及は、結局「過去」のことです。そして、子どもたちは「未来」へ向かって歩いている生き物です。過去と未来、どちらが大事と言えば、やっぱり未来のほうですものね……。
もしも、あなたの身近にそういう親がいたら、どうか「○○のせいで子どもが障害になったんだ」などと責めないでほしいです。親はすでに自分を十分に責めています。それに追い打ちをかけたら、ますます子どもの未来に向き合うのが遅くなってしまうかもしれません。それより、親が子どもの未来に目を向けやすいよう、一緒に未来を見つめてほしいと思います。例えば、子どもの小さな成長を、ひとつひとつ親と一緒に一緒に喜ぶことで。それは、親をとても力づけてくれますから。

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昇平自身の本当の成長記録は、すでに「しましま島の男の子」の中の、「あしあと」というページにまとめてあります。小学校に入学する6歳までの記録ですが、概略を知りたい方はこちらをご覧ください。
次回も「おいたち・2」と題して、昇平がここまで育つ間の印象的なエピソードを拾っていこうと思います。

[06/01/13(金) 11:25] 療育・知識 発達障害

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