昇平てくてく日記2
小学校高学年編
昇平のおいたち・4
今回は昇平のADHD的な特徴に関する思い出のピックアップです。
ADHDの和訳は「注意欠陥・多動性障害」。これの特徴をわかりやすく言えば、不注意で、落ちつきがなくて、衝動性がある、ということになります。
でも、不注意といっても、注意力が「ない」わけではありません。むしろ、自分の好きなもの、好きなことには人一倍めざとく気がつきます。昇平も、電気屋に入っていって新作ゲームのデモでもやっていようものなら、それこそ目を輝かせてすっ飛んでいきます。そっち方面への注意力はありすぎるくらいあるので、「なんだ、全然不注意じゃないよね」なんて言われることもよくあります。
でも、例えば学校から帰ってきて、車庫から玄関に向かう途中、庭を歩いていたおじいちゃんが「おかえり」と声をかけても、昇平は知らん顔でした。無視しているわけじゃありません。おじいちゃんが嫌いなわけでもない。本人の注意力が「家に帰る」ということでいっぱいになっているので、それ以外の周りのことが、全然目に入らず、耳に入らないのです。もしかしたら、『家に帰って部屋に入ったら、まずあれをして、それからこれをして……』と楽しい計画で頭がいっぱいになってしまっているのかもしれません。
そんなことを知らなかったおじいちゃんは、もちろん不機嫌になりました。「これは耳が聞こえないふりをしているんだ」と口に出して言っていたことさえあります。「違いますよ。おじいちゃんがそこにいて、声をかけているのに気がつかないだけなんです」と説明しても、「こんな目の前にいて、そんなはずがあるか!」と信じてくれません。まあ、それも無理はないんですが。なにしろ、昇平とおじいちゃんの間はほんの5メートルも離れていなかったし、見える範囲におじいちゃんは立っていたし、声だってかけているわけですから。
しかたがないので、次に同じような状況になったとき、私が昇平に声をかけました。
「昇平、おじいちゃんがお帰りって言ってくれてるよ」
と昇平の肩を叩いて言って、おじいちゃんを指さして見せました。すると、昇平は初めて気がついた、という表情をして、素直に「ただいま!」と言ったのです。視野に入っていても、声は届いていても、本人の意識におじいちゃんの姿や声が届いていなかったのが証明されて、おじいちゃんもビックリした顔になりました。
以来、おじいちゃんは昇平のすぐ近くまで言って声をかけるようになりました。その時には必ず「昇平くーん!」と名前を大きな声で呼びかけてから、話しかけます。話すことばは大声より、穏やかな声で、短くはっきり言った方が通じやすい、というのも、長年の間で理解したようで、普段は方言バリバリのおじいちゃんが、昇平に話しかけるときだけはクリアな標準語になります。これはこれで、ほほえましいです。
幼い頃の昇平は、多動も本当にひどい子でした。ようやく自力で立てるようになって、大家さんから借りた歩行器に昇平を入れたとたん、昇平は狭い家の中を猛スピードで走り回るようになりました。本当に、これが1歳前の子どもだろうか? と思うような勢いでした。その様子を見て、私は密かに彼を『暴走小僧』と呼んでいました。
歩けるようになると、今度はあっという間にどこかへ行ってしまうようになりました。つないだ手を離した次の瞬間には、もう姿が消えてしまっています。移動スピードもかなりのものです。しかも、周りはまったく見えていないので、危険なことこの上ありません。車道に飛び出さないように、危険な場所に行かないように、外出時は必ず昇平の手をしっかり握っていました。家族で外出したときには、主人と私、必ずどちらかが昇平を見ていて、目を離さないようにしていました。たとえ数秒間でも、目を離したら、どこで何をしでかすかわからなかったからです。
車道で車を何台も停めていたこともあります。ちょっと目を離したすきに家の周りからいなくなって、警察に捜索願を出したこともあります。風呂の縁に立ち上がって転倒して、顎の下を七針も縫う怪我をしたこともあります。
風呂で怪我をしたときには、私も一緒に入浴していました。「危ないよ」と昇平を浴槽の縁から下ろそうとした瞬間に、昇平の体が前に倒れていきまいした。浴室の敷居のレールで顎を打ったのですが、あのとき、先に上がったお兄ちゃんが浴室の戸を開けっ放しにしていかなければ、昇平は頭からガラス戸に突っ込んだことでしょう。顎を切って血まみれになって夜間救急病院に運び込みましたが、それでも大怪我にならなかったのは不幸中の幸いだったと言うべきなのかもしれません。
翌日、私は実家の母から叱られました。「一緒に入浴していたのに、母親として不注意だよ」と。
でも、その母も、それから10日ほど経ったある日、用事で昇平を実家に預けていったら、廊下を走って転んで顎を打ち、ふさがりかけた傷がまた開く、という目に遭いました。どんなにこちらが注意して見ていても、昇平にはそれで十分と言うことはないのだ、と母も理解したようでした。
今でも昇平は多動です。
というと、昇平を見ている人は「え、どの辺が?」と驚きます。「だって、席にちゃんと座っているじゃない。騒いで声を出すこともないし、落ち着いて勉強もしているし……」
はい、確かにそれができるようになりました。大きな動きはずいぶん落ち着いたと私も思います。
でも、よく見ていると、昇平はしょっちゅう体を動かしています。特に、家で食事をするときや、部屋でパソコンなどをしているときに動きが激しくなります。椅子をぎこぎこ、足をばたんばたん、立ったり座ったり、ガタンガタンと音をたてたり。
一緒の部屋にいるお兄ちゃんやお父さんにしょっちゅう注意されます。「昇平、うるさいよ!」 食事中だとおじいちゃんから注意されます。「静かに食べろ!」
だけど、昇平は無意識なのです。自分がひっきりなしに動いているだなんて、自分では気がついていません。言われて「あっ」と思えばマシな方。自覚していないので、「え、なんで叱られるんだろう?」という顔をすることもしょっちゅうです。
なので、私は声をかけるとき、こんな言い方をすることにしています。
「昇平くん、なんだか落ち着かなくなってきているよ。危ないから、椅子に座りなさい」
叱るような調子ではなく、自覚を促すように声をかけています。
すると、昇平は「あ」という感じで動きを止めます。
ただ、それが効いているのもほんの30秒くらいで、またすぐに、ぎこぎこ、ガタガタ、ばたんばたんが始まります。落ち着いて静かにしていること自体に人並み以上の注意力や集中力が必要なので、すぐにそれが切れて、また動き出してしまうのです。昇平の場合は「動いている状態」というのがノーマルポジションなのかもしれません。
最近では、そんな自分を昇平自身が客観的に見るようになってきました。
「俺、なんでだか動いちゃうんだよ。じっとしてられないんだ」
と私に言ってきたことがあります。
「なんでかわからないんだけど動いちゃう」。それが、ADHDの多動の実感そのものなのだと思います。
それから、昇平は衝動的です。
小さいときは、その衝動性から、道路に飛び出しそうになったりして危なかったのですが、さすがに十歳の今は、そういうことはなくなりました。
でも、視覚的な刺激に対しては、相変わらずとても衝動的です。
朝、学校に行くのに制服に着替え始める。目の前のテーブルに本が出しっぱなしになっている。それを読み出して、着替えを忘れてしまう。
「出かけるよ」と声をかけられて、準備万端整えて出て行こうとするけれど、ふと目に入った小さなおもちゃに気を引かれて、それで遊び始めてしまう。
寝る前の歯みがきをして、さあ二階に上がるよ、というときになって、食卓の上に残っていた夕食のおかずが目に入って、つい口にぱくり……。で、母に「もう一度磨き直しなさい!」と叱られる。
この手の衝動性は、本当に、数え上げ始めればきりがありません。日々の生活の一瞬一瞬の行動が、この衝動性との戦いと言っても言いすぎではないでしょう。担任のドウ子先生も、教材の見本に気を引かれて席を立ってきた昇平を、声をかけながら戻らせます。「自分の席から見ます。前に出てきませんよ」
本当に、これもわざとやっているわけじゃないのです。多動とまったく同じで「気がついたら気持ちが動いて、体も動いている」という感じなのです。
それでも、昇平は他人に衝動的に手を出す、ということはあまりなかったのですが、最近になって、運動会やマラソン大会で負けるのが悔しくてつい友だちを叩いてしまったり、先生や周りの人につい暴言を吐いてしまったり、という衝動的な行動が出てくるようになりました。
衝動性は障害特性だから、直せと言われて直るものでもないのだけれど、それを少しでも軽減できるように、自分で自分の感情や衝動性をコントロールする訓練を始めていかなくちゃいけない、と思っています。
昇平はADHDの治療薬、リタリンを服用しています。
30分くらいで効き始め、3〜4時間で消えてしまう、効果の早く短い薬です。
けれども、これが効いている間、昇平の不注意は改善され、多動・衝動性もだいぶ落ち着きます。不注意が改善されることで、周りの出来事が急に理解できるようになってきたことは、前回の「おいたち・3」の中でも紹介したとおりです。
でも、日本人には薬が嫌いな方が大勢います。リタリンを服用させていると聞くと、「薬に頼っている。親や本人の努力や周りを良くすることで対処していくべきだ」と言われることもよくあります。実際、その程度の努力や改善で、薬なしでも生活に不自由しなくなる人たちは大勢いるのでしょう。
でも、昇平にはそれだけではとても間に合いません。いつかは、もっと本人にコントロール力が育ってきて、薬なしでも生活できるようになるかもしれませんが、今はまだ、その時ではないのです。
いくらそう説明してもわかっていただけなくて、嬉しくない思いをした経験も何度もあるのですが、ここでは今は思い出さないことにします。
とにかく、今しばらくは薬の助けを借りながら、昇平の成長と努力の成果を待とうと思っています。
前回のこだわりといい、今回のADHDの特性といい、書けば困ったこと、大変だったことが次々と出てきてしまうのですが、実際には昇平との生活は本当に楽しい毎日です。特に、学校での昇平の生活は、眺めていても充実していて、とても楽しそうです。
次回は、「おいたち」の最終回。昇平の学校生活について振り返って、しめくくりにしようと思います。
[06/01/20(金) 15:07] 療育・知識 発達障害