昇平てくてく日記2

小学校高学年編

昇平のおいたち・5

さて、おいたち編の最終回では、昇平のこれまでの療育や学校の思い出をたどってみたいと思います。

ことばや発達が遅れている昇平について、ちゃんと専門家に相談に乗ってもらったほうがいい、と親戚に勧められて、町の発達相談会に足を運んだのは、昇平が3歳3か月のときでした。
後に昇平の主治医になった先生は、昇平を観察したあと、「ぼくはこういうお子さんを『チョロ助さん』と呼んでいるんです」という言い方で、昇平が発達障害を持っていることを私に告げました。その場で薬物治療も勧められました。NHKのADHD特集を見ていた私には、チョロ助というのがADHDを持った子どものことであり、勧められている薬がリタリンであることは、すぐにピンと来ました。

昇平にリタリンが非常に効果があったことは、これまでの「おいたち」にも書いたとおりなのですが、その時の私はまだ、そんなことは知りません。
薬を飲ませるよりも先になにかするべきこと、できることがあるんじゃないだろうか、と考えて、薬や通院を断り、保健師をしていた親戚に頼んで、利用できそうな療育施設を教えてもらい、そこに通い始めました。
と言っても、私たちが住んでいるのは、東北の地方都市からさらに三十分あまり車で奥に入った田舎町です。そんなに充実した療育施設が身近にあるわけではありません。とにかく、子ども同士のふれあいを経験させよう、と町の育児サークルに通い始めました。
集まりそのものは楽しかったです。なにより、それまで外に出られなかった私にママ仲間ができました。子どもの状態は少し違っていても、親としての想いは同じです。週一回の集まりのたびに、私はお弁当を持って昇平と公民館に出かけていって、子どもを遊ばせながらおしゃべりをし、会の活動としてミニ新聞なども出しました。そういう経験を通じて、昇平の社会性も育っていくといいな、と考えました。

けれども、昇平は同じ年頃の他の子にほとんど興味を示しませんでした。
いえ、興味はあったのかもしれません。でも、なかなか一緒に遊ぶことができません。ブロックなどのお気に入りのおもちゃで、他の子と遊んでいても、おもちゃの貸し借りや共同作業があるわけでなし、ただ一緒にいるだけのひとり遊びなのは、見ていても明らかでした。
その話をすると、親戚の保健師が「ただ親子が集まって漫然と遊ぶのではなく、プログラムに基づいて何かをする集まりのほうが良いのでは?」とアドバイスしてくれて、隣の市にあった子育て支援センターを紹介してくれました。
そこはとある保育園のホールを利用した小さなスペースで、毎日、電話で申し込んできた親子数組限定で、お絵かきや工作、手遊び、歌などのプレ幼稚園的な活動をさせてくれました。公営なので利用は無料です。特に障害児に対応したプログラムではなかったので、就園前のお子さんも大勢利用していて、毎朝の電話申し込みは人気コンサートのチケット獲得と同じくらいの競争率でした。受付開始時間と共に電話をかけて、話し中だったら、すぐにまたリダイヤルボタンを押してかけ直して……。
でも、その支援センターでも、昇平は活動にろくに参加することはできませんでした。歌や手遊びには無関心、工作もお絵かきもできなくて、ただ、ホールに置いてあるブロックをつないでは夢中になって遊んでいました。落ちつきもなくて、ホール中飛び回って歩くので、活動中は一人の先生が専属で昇平について歩いて、危険がないように見ていてくれました。「昇平くんはソフトブロックで剣を作って、台の上にのぼってポーズつけてましたよ。おもしろかったわぁ」とは、ある日の活動のあとでその先生が教えてくれたこと。
実際には活動に参加できない、勝手に遊び回る昇平はとても迷惑だっただろうと思います。でも、私たちはそこで邪魔にされたり、非難されたりすることが一度もありませんでした。今思えば、本当にありがたかったと思います。
つい先日、昇平が突然思い出したように言いました。「昔さ、別の保育園に行ってたよね。車のブロックがあったよね……」
車のブロックがある保育園というのは、このときの支援センターに間違いありません。当時は周りのことも、自分がやっていることも何も理解できていないように見えていたのに、6年たった今でもちゃんと覚えていたのです。「楽しかったよねー」と昇平が言いました。その思い出だけでも、そこに通った甲斐があったかもしれません。

4歳4か月の冬、昇平はいよいよリタリンをスタートしました。私たち親子のターニングポイントです。
迷い迷って1年間、あれこれ手を尽くしてきたけれど、やっぱり昇平の発達は遅れていくばかり。他に手だてもなくなって、「効果がなければすぐに止めればいいや」と考えて、思い切って踏み切った薬物治療でした。
ところが、その日を境に昇平は大きく変わり始めたのです。
こちらの話が昇平に通じるようになる。周りが見え始める。自分なりに考えて判断して行動するようになる。騒がしい行動がぐんと少なくなる……。支援センターでのプログラムにも、まともに参加できるようになりました。お絵かきや工作を楽しんでいる昇平の姿に、私は魔法を見ているような想いでした。

その年の4月、昇平は地元の保育園に入園しました。
その際にも、親戚に相談して、昇平のような子どもを迷惑がらずに受け入れてくれそうな園、理解して丁寧に関わってくれそうな園を選びました。
その結果は、大当たり。一年目の副担任のマキ先生、二年目の副担任のみち子先生、その二年間ずっと主担任だったみお先生。3人の先生方と私は、連絡帳で、口頭で、とにかくありとあらゆることを話し合って、昇平の保育に力を尽くすことができました。その一部は、明治図書から出た『とことんこのこにこだわって』の私の拙文にも紹介してあります。とても全部は書ききれなかったので、機会があれば、いずれまた残りの思い出もどこかで語りたいくらいなのですが。
昇平は、ことばも生活レベルも周りの子たちより遅れていたけれど、この保育園で劇的に伸びました。
そして、その時の経験から、私たちは昇平の就学先を、地元小学校の普通クラスではなく、隣の学区にある小学校の情緒障害児学級に決めたのです。
いくらリタリンを飲んでいても、昇平はやっぱり不注意ですし、認知の幅も狭いので、目の前の人の行動やことばを十分に理解して行動することができません。いわゆる「場を読んで行動する」ことが苦手なのです。
ただ、ちょっと大人が手伝ってあげれば、そのあとは勉強も学校生活もけっこう自力で成し遂げられます。「今は○○をするときだよ」「お友だちが××って言っているよ。昇平くんは△△しようね……」そんなふうに声かけしてもらっただけで、昇平はぐんと過ごしやすくなりますし、場の意味がわかるようになることで、考えも経験も深まります。社会性も伸びていきます。けれども、三十人あまりの子どもたちを一度に一人で見なければならない小学校の普通学級では、とてもそれだけのきめ細かい対応は望めないだろう、と考えたからです。
ただ、これに関しては、その子どもがどのくらい一人で学校で過ごせるかによって、判断は違ってくると思います。同じ診断名や、同じように見えるお子さんでも、それぞれに違うだろうと思います。
昇平に関しては、普通学級では十分な対応はできそうになかった。だから、それを求めて、普通学校の養護学級を選んだ。そういうことなのです。

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「昇平は本当に強運を持ち合わせているなぁ」と私は常々感じています。そういう星回りに生まれている、と言うべきでしょうか。とにかく、自分に必要な人材を、自分の周りに引き寄せるようなところがあるのです。
小学校に入学した昇平には、森村先生という男の先生が担任になります。このブログの前身「てくてく日記」をお読みくださっていた方はご承知の通り、とても熱心で、子どもをしっかり見つめて関わってくださる先生でした。ときに細やかに、ときには大胆に、昇平をぐいぐい引っ張ってくれました。
おかげで、昇平は養護学級にいるからと言って周りからバカにされるようなこともなく(あったとしても、大したことはなく)、できるところをたくさんほめてもらい、自律のための練習を積み重ねて、自分に自信をつけていきました。
森村先生が転勤で学校を去られるときには、私も涙涙で見送りました。

そのあとを継いで転任されてきたのが、今の担任のドウ子先生です。
森村先生とはまたタイプが違って、ドウ子先生はいつも明るくてパワフルです。ドウ子先生が教室に入ってくると、教室が一気に活気づきます。
ドウ子先生はまた、子どもたちの興味関心を活動に結びつけるのが非常にお上手です。子どもたちがどうやったら楽しく学習していけるかが、直感的にわかる先生だと、私には見えています。
最初のうちこそ、担任が変わってナーバスになっていた昇平も、夏休みになる頃にはすっかり慣れて、これまためきめきと力を伸ばしてきました。三年生の秋から、放課後に通う学童を変えたのですが、それもまた良い刺激になったようです。
新しい担任、新しいお友だち、これまで積み重ねてきた経験の成果……そんなものが重なり合って、また大きな成長を生んだのでしょうか。昨年の昇平の社会性の変化は、本当に目を見張るばかりでした。
そして、今の昇平があります。

成長したからと言って、問題がなくなるわけではありません。
ひとつ問題が解決しても、成長が新しい問題を引き起こすこともあります。
何もかも明るく希望に満ちて見えるときもあれば、トラブルを起こしてしまって、親子でどーんと落ち込んでしまう日だってやっぱりあります。
それでも、昇平のいる日々は、やっぱり楽しいです。
昇平のおかげで、私は本当にいろいろなことを学ぶことができました。保育園や学校の意義、お友だちの大切さ、助けてくれる人々のありがたさ、また、その人々に手助けを求めることの重要性。
メニエルの発作で倒れて身動きできなくなったとき、「もう限界だ。これ以上はもう、私一人ではどうしようもない。これ以上はがんばれない」と痛感した私は、今、本当にたくさんの人々に助けられ、見守られながら子育てをしているのだと実感しています。
そう、この日記を読んでくださっているあなたにも、私たちは力づけてもらっているのです。
昇平を見守ってくださって、ありがとう。私たちと一緒に応援して、昇平の成長を喜んでくださって、本当にありがとう。
一人きりで子育てをしているのではない、という実感は、母である私を、本当に本当に勇気づけてくれています。

この日記は、昇平という一人の子どもの成長記です。
典型的なADHD児というわけでも、典型的な自閉児というわけでもありません。けれども、正真正銘、等身大の「朝倉昇平」という男の子の日常を描いています。
何気ない一コマのようなエピソードを語ることもあります。ものすごく深く考察した(つもりの)療育的な知識を載せることもあります。嬉しかったこと、悲しかったことのありのままを、昇平と私という母子の視点からつづっています。……たぶん、嬉しかったことの報告のほうが多くなるとは思いますが。
なにしろ、私はかなりの前向き指向。できないこと、まずいことをくよくよするよりも、できること、素敵なことの方を見つめる方が大好きなものですから。
そんなこの日記に、これからもおつきあいいただけると嬉しいです。
どうぞよろしくお願いいたします。


以上がブログスタートのご挨拶に代えた「おいたち」シリーズでした。
次回からは、また、昇平の日常の様子をあれこれお伝えしたいと思います。

[06/01/23(月) 13:58] 療育・知識 発達障害

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