昇平てくてく日記2

小学校高学年編

聴覚過敏

今朝、昇平を学校へ送っていったときのこと。
昇平が制服から運動着に着替えていると、先に着替えが終わった5年生のDくんが紙製のクワガタやカブトムシで遊び始めた。今人気の「ムシキング」ごっこだ。カードやおもちゃがなくても彼らは平気。自分たちで絵を描いてカードやフィギアを作っては、それでお互いに遊んでいる。
ときどきDくんがちょっと甲高い声を上げる。敵の甲虫の声だとかなんとか。甲高いと言ってもそれほど気になる高さではないし、音量も大したことはない。
ところが、着替えをしている昇平が顔をしかめてどなった。
「うるさーい!!」
Dくんとしてはごく普通レベルの声で遊んでいるつもりだから、そう言われたって納得できない。楽しく遊んでいるところを邪魔されたように感じて、ムッとした顔で言い返した。
「そういう昇平くんのほうがうるさいんだよ。俺はうるさくありませーん」
でも、Dくんがまた遊びを再開すると、昇平がまたどなった。
「うるさいって言ってるんだよー! やめろよー!」
「その言い方は良くないんじゃない?」
と6年生のCくんが調停に入ってきた。
「うるさいんです。静かにしてください」
と丁寧な言葉づかいになって昇平が言う。でも、いくら丁寧に言われたって、Dくんとしては騒がしくしているつもりはないわけだから納得できない。
「それはできませんー。昇平くんこそ我慢しろよ」
と言いながらムシキングごっこを続けている。腹をたてる昇平。
「昇平くんも悪いけど、Dくんも悪いよ。二人とも罪があるよ。昇平くんが5で、Dくんが4くらい。5対4だね……」
とCくん。って、事故の賠償責任の比率じゃあるまいし。(苦笑)
うーん。間をとりもって仲直りさせようとするのは偉いんだけど、罪とか悪いとか、そういう問題じゃないんだよねぇ。
自分たちが悪いことをしているように言われて、Dくんも昇平もますますおもしろくない顔。Cくんにお互い謝りなさい、と言われて謝るものの、Dくんが投げやりに言うものだから、昇平はそれに怒り……はうー。収拾がつかないー。
ごちゃごちゃと口論になっていたところへ、ドウ子先生が「おはよー!」と元気に教室に入ってきた。一通り子どもたちの話を聞いてから、「わかったから、それについては、もう終わり!」と宣言してくれて、口論はひとまず収まった。

子どもたちが協力学級に今日の予定を聞きに行っている間に、私の口からもドウ子先生に状況を説明した。
すると、二学期の頃から、何度も同じような状況が起こっていたことがわかった。静かに学習しているとき、別に何も騒がしくなかったのに、突然昇平が「うるさーい!」と声を上げて、周りがびっくりする、ということが時々あったらしい。
「ホントに教室の中は静かで、別になにもうるさい音なんてしてないんですよ」とドウ子先生。最近は、そんな昇平の反応にもみんな慣れっこになってしまっていたらしい。
うぅーん。家では出ていなかったから、気がつくのが遅れたな。昇平は、聴覚過敏が以前より強くなってきていたんだわ。

   ☆★☆★☆★☆

聴覚過敏、というのは、音に対する反応が普通より敏感なこと。つまり、小さな音でもとても大きく聞こえたり、普通ならそれほどうるさいと思えないような音が不愉快に聞こえたりすることを言う。
微妙な音色の違いを聞き分けられれば、聴覚過敏も音楽家やピアノの調律師のようなプロの才能として生かせるかもしれないけれど、昇平たちの場合、そんなふうにはなかなかいかない。ただ単純に「普通の人にはなんでもない音が、彼らには大きく、うるさく聞こえる」という現象になってしまう。
しかも、やっかいなことに、音全般がうるさく聞こえるわけでもないのだ。ある特定の音が、その人にはうるさく感じられたり、不愉快に感じられたりする。多分、周波数や振動の問題だと思うのだけれど。
単純に音の大きさに敏感なだけだと、「やたらと周りの物音をうるさがる人」と周りで気がついて、内心はムッとしながらも「あの人はすぐに『うるさい』とどなってくるから、あの人の近くでは大きな音や声はたてないようにしておこう」と考えるようになる。
ところが、ある特定の音だけに敏感で、しかも普通の人には理解できないような音が不愉快な場合、なかなかそれが周りに理解してもらえなくなるのだ。

これについては、昔見た映画のワンシーンを思い出す。実は『ゴジラ』なのだけれど。(笑)
襲ってくるゴジラを撃退するために、ゴジラの嫌いな周波数の音を東京湾に流す、という計画を話しながら、科学者が説明していた。
「この音は我々の耳にはなんということもない音です。でも、我々が丁度ガラスをひっかく音に耳をふさぐように、ゴジラにはこの音がものすごく不愉快に聞こえるのです」
まあ、セリフの一言一句が合っているわけではないけれど、要はこんなことを言っていた。
個体によって、苦手な音の種類が違う。
ゴジラと人間ほど離れた種族でなくても、同じ人間同士でも、同様のことは実は起こっているのだ。
我々定型発達(と、発達障害をも持たないタイプの人間を呼ぶ)の場合は、ガラスをひっかく音は苦手でも、ちょっと甲高い「ウィー……」なんていう感じの声は別に不愉快でもなんでもない。ところが、昇平にはその「ウィー……」がガラスをひっかく音のように不愉快に感じられるのだ。ちなみに、昇平は実はガラスをひっかく音はまったく平気。その代わり、普通なら充分我慢できる程度の赤ちゃんのぐずり声や泣き声には、異常なほど強い拒絶反応を示す。赤ちゃんはいつ泣き出すかわからなくて予測不能だから、なお怖いのだろうけれど、赤ちゃんに限らず、昇平は人の泣き声、どなり声が極端に苦手だから、やっぱりそういう周波数やインパクトを持つ声を、特異的に不愉快に感じているんだろうと思う。

当人は本気でその音がつらいのに、周りの人たちはその音が平気なものだから、「どうして?」「全然うるさくないよ」と言われてしまう。
それどころか、「このくらいの音をうるさいなんて言ってどうする。我慢しなさい!」なんて、まるでわがままでも言っているように叱られることさえある。
これは当人たちには、音がつらい以上に、ものすごくつらいことだろうなぁ、と思う。
わかってもらえない上に叱られるなんて、割に合わないことこのうえないだろう。

   ☆★☆★☆★☆

ドウ子先生にこの聴覚過敏の話をしたら、先生はとても驚いていた。音量に過敏な状態は理解できても、特定の音だけに過敏なことがある、というのは想像したことがなかったらしい。
だろうなぁ。私だって、アスペルガーの診断を受けている成人当事者たちが、「自分たちにはこういう音がつらく聞こえるんです」ということを、ネット掲示板を通じて語ってくれたから理解できるようになっただけで、それがなかったら、やっぱり私だって「なんでこんな音がうるさいの???」と疑問符で頭をいっぱいにしていたに違いないのだもの。

授業中に昇平が「うるさい!」と言い出すのは、決まって教室がしんと静かなときだという。そういえば、Dくんの声をうるさがった今朝も、教室全体はとても静かだった。たぶん、昇平がうるさいと感じるのは、とてもかすかな音なのだろう。実際、逆に教室中が遊んでいる子どもたちでわあわあ騒がしいときには、うるさがることもなく、お絵かきに熱中していたりすると言う。たぶん、周りの騒音で、気になる音が打ち消されてしまうから、逆に平気になってしまうんだろうな、と思う。
家で聴覚過敏が出てこないわけもわかった。
昇平は、家ではたいていパソコンの音楽かビデオをBGM代わりに流し続けている。それも、けっこうな音量でかけているのだが、そのBGMで、苦手な音を打ち消しているのかもしれないのだ。
昇平が苦手な音って何でしょうね? とドウ子先生と話し合った。Dくんの「ウィー……」という甲高い音が苦手なのはわかったけれど、教室で学習しているときのは? 周りにいる人たちが「うるさい」と言われてびっくりするのだから、きっと、普通なら全然気にならないような音に違いない。筆箱が机から落ちた音? 窓の外を吹き抜けていく風の音? それもと、えんぴつがノートの上をこすっていく音……?
探偵になった気分で、苦手な音の正体探しをしてもらえたらいいな、と思った。
音の正体がわかったところで、赤ちゃんの泣き声のように、どうしても防ぎようのないものなのかもしれない。だけど、「昇平くんはその音が苦手なんだね」と周りでわかってくれるだけでも、昇平の気持ちにはきっと大きな違いがあるはず。
100%防ぐことはできなくても、予防したり、回避したりすることはできるかもしれない。
そのためにはまず、敵の正体を確かめないとね……。(笑)

発達障害は、脳の中のほんのちょっとした不調整から引き起こされると言われる。
それほど大きな違いではない。目には見えないくらい、小さな小さな「ずれ」なのだけれど、見えないくらい些細なだけに、逆に周りの人からわかってもらいにくくなる。彼らが生きやすくなる世界が実現するためには、やっぱり視点を変えて、当事者の身になって考えなくちゃならないんだと思う。
人はひとりひとり違う。発達障害者の視点で考えることができる人は、定型発達の人たちの視点で考えることもできるはず。それがどんな人であっても、相手の気持ちになって思いやることができる、素敵な世の中が実現するよね。

昇平がDくんの声をうるさがったことをきっかけに、そんなことを思いめぐらせながら帰路についた私だった。

[06/01/24(火) 11:09] 学校 療育・知識 発達障害

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