昇平てくてく日記2

小学校高学年編

電話の向こうのE子ちゃん

ずっと連絡帳シリーズが続いたので、このあたりで私の思い出話をひとつ……。

独身時代、私はアルバイトで、とある学習教材会社の電話指導員をしたことがあった。
営業の人が家庭を訪問して教材を売るのだが、アフターケアとして教材を買ってくれた子の家に週に一度電話をかけ、子どもの学習状況を確認して、わからないところなどを電話で指導する、というものだった。
子どもは小学1年生から6年生までで、もちろん、男の子も女の子もいる。住んでいる場所も、県内さまざまだった。
早めの時間帯は主に低学年、遅い時間帯は高学年、という組み方で、一日十数人の子どもたちに次々に電話をかけた。指導時間は一人15分。今はもっとゆるやかなスケジュールに変わったようだが、私がやっていた頃は空き時間がほとんどなくて、電話口で子どもが準備して待っていてくれないと、教材の準備をさせたり、前週に宿題に出したところの確認をするだけで、あっという間に指導時間が過ぎてしまい、次の子の指導時間に食い込んで、ひいひい言ったものだった。

姿が見えない、声だけの先生と生徒。それでも、毎週同じ子に電話し続けていると、なんとなく「その子」の姿が見えるような気がしてきた。
毎回きちんと宿題をやっていて、その日の電話指導も完璧にこなす優等生タイプの男の子。この子は、すぐそばにいつもお母さんがついているようだった。
おしゃべりが大好きで、いつも電話のすぐそばで待ちかまえていて、15分の時間のうち12分くらいはおしゃべりに使ってしまうような女の子。この子は、日中家族が家にいなくて、家庭環境もちょっと複雑そうで、明るいしゃべり声の陰になんとなく淋しそうな笑顔が見えるようだった。
毎回言っても、何度言っても、教材の準備をしていなくて、もちろん宿題もやっていなくて、「わざとそうやって指導時間をつぶしているのかも?」と感じさせるような男の子。
いつもはめんどくさいなぁ、なんて感じで電話口で勉強しているのに、たまたま宿題をきちんとやってきた日には、ものすごく張り切って学習してくれた男の子……。(このタイプの子は多かった。)
本当に、顔もわからないのに、ひとりひとりの個性が見えてくるのは面白かった。ただ、どうしても時間に追われて指導するので、関係はあまり深まらないし、指導時間が終わると、いつもどっと疲れが出たものだったが。

   ☆★☆★☆★☆

そんな中に、一人、とびきり印象に残っている子がいる。
名前をE子ちゃん、としよう。
私が初めて受け持ったときは、確か小学4年生くらいだったと思う。

私がそこの指導員になったのは、大学時代の同級生の誘いだったのだが、その友人がそこを寿退職するにあたって、私にE子ちゃんを引き継いできたのだ。いわく
「指導がすごく難しい子なんだ。はっきり言って指導にならないの。でも、前に『わからないところがある』って言われたとき、私が枠外の時間帯に電話して個別指導したことがあったものだから、それからずっと、私を指名してきてるの。私でもほとんど指導にならないのよ。でも、私でないとダメだって言ってくるから……。大変なんだけど、玲ちゃん、この子を見てもらえるかな?」
友人に替わってE子ちゃんに電話するようになって、その意味はすぐにわかった。
たくさんの子どもたちを指導していれば、教材の扱い方やそれを音声再生させる機械の扱い方などがわからなくて戸惑う子たちには大勢出会う。「ここをやろうね」と言っても、教材そのものが電話口になくて、あわてて取りに行ってもらったり。
ところが、このE子ちゃんの場合は、そんな生やさしい状態ではなかった。本当に、電話での話が通じないのだ。
「初めまして、E子ちゃん。今日から△△先生の替わりにE子ちゃんとお勉強することになった朝倉先生です。えーと、先週のときに宿題がでていたよね。やってきた?」
返事がない。
「やっていなかったの? ○番の問題だよ」
やっぱり返事がない。
「うーん、やってないのかな? どうしようか。今日はその○番からやってみようか」
全然返事がない。
電話を外したまま、どこかへ行ってしまったんだろうか、困ったな、と考えあぐんでいると、突然、電話口の向こうからE子ちゃんの声が聞こえてきた。
「△△先生は……」
と私の友人の名前を言う。その声の調子で、ずっと受話器を持ったまま、耳に当てたままでいたのはわかった。
「この間も言ったよね。△△先生は結婚して先生をやめちゃったんだ。ごめんね」
また沈黙。
どうしたらいいんだろうか、と沈黙の中で悩み続けていると、またたっぷり数分後にE子ちゃんの声がした。
「×番って言われた……」
と、宿題とはまったく別の番号を言ってくる。意味がわからないうちに時間切れ。しかたなく、新しい宿題の番号を指示して、そこを次までにやっておいてね、と言ったけれど、次もまた宿題はやっていない。
「△△先生は……」
「×番って言われた」
そう言う声には悪意や反抗はなかった。淡々として聞こえるけれど、なんだか今にも泣き出しそうな、戸惑っている少女の姿が見えるような気がした。

何度言っても宿題をやってこない。
いや、それどころか、教材指導もまったくできない。
電話での指示に従えない。こちらの言っていることが理解してもらえない。
しかたがない、おうちの人にお願いして、宿題や教材の使い方を見てもらおう、と考えて
「お母さん、いるかな? お母さんに替わってもらえる?」
と言うと、また長い長い長い沈黙。
お母さんを呼びに行っているんだろうか? と思ったら、電話のすぐそばからE子ちゃんの声。
「お母さん、いません」
ガックン。

15分の時間を流してしまえば、それでその子の指導は終わり。
親も電話に出たり、子どもの学習の様子に気を配る様子がないし、ただその時間が過ぎるのを待っていても、別に誰にも何も言われない。
E子ちゃんの指導が難しいことは、教室の中では有名だった。他の誰がやっても結果は同じだったから。誰もE子ちゃんの担当にはなりたがらなかった。
でも、私はつらかった。やっぱり、せっかくやるからには、何かしら勉強らしいことをやりたいと思ったから。
E子ちゃんが電話で指示されたことを極端に理解しにくいのは、何度か話していくうちにわかった。
電話で話しながら、教材を再生させる機械を操作し、問題を解くのが大変そうなのも感じられた。
あるとき、教材はそばにないけれど、算数の教科書ならそばにある、と言ってきたことがあった。
「それじゃ、教材を探してくると時間がなくなっちゃうから、今日は代わりに教科書の○ページの○番の問題をやろうか」
と言って、教科書をやってもらったら……意外や意外、ものすごくよくわかっている。
そこで、教科書の別のページの問題を宿題にしてみたら、それも次にはちゃんとやってきていた。
教科書ならば、E子ちゃんには、よくわかる……。
考えたあげく、私はE子ちゃんのお母さんに替わってもらって(次の子の指導時間に食い込んでしまうのは覚悟の上で)、E子ちゃんは教材よりも教科書の方がわかりやすいようであること、教材はおうちで自分で勉強してもらうことにして、電話では教科書を一緒にやってみたいと考えていること、をお願いしてみた。
お母さんは快く承知してくれた。電話口での娘の様子を見て、感じているものはあったのかもしれない。

そこから後、E子ちゃんとはもっぱら算数の教科書で学習するようになった。
教科書なら、本当に、いつもE子ちゃんは満点だった。ただ、学校ですでに学習したところを確認することが多かったから、もしかすると、正答をノートに書いていて、それを見ながら答えていたのかもしれないけれど。でも、とにかく、E子ちゃんの時間帯も、「何をやっているのかわからない」という状態ではなくなった。
もちろん、こんなのは本社にしれたら大目玉を食らうようなことだったと思う。でも、当時、本社の正社員はめったに教室にやってこなかったし、来ても子どもひとりひとりの指導状況は教室の責任者に一任されていたから、私の指導は黙認されていた。

E子ちゃんと学習していると、この子の部屋に飛んでいって、目の前で「ほら、ここだよ」「この問題のこれだよ」と指さしてやりたくなることが、しょっちゅうあった。向き合って、同じ教材や教科書を見ながら「ほら、これのここがこうなるからね……」と、ひとつひとつ、目で見せながら指導すれば、きっとE子ちゃんも理解できるんだろう、という気がしていた。
お母さんに電話を替わってもらって、「お宅のお子さんにはうちの教材よりも家庭教師の方が合っていると思いますよ」と、何度言いたいと思ったことか。……さすがに、それだけは口が裂けても言うわけにはいかなかったけれど。

E子ちゃんの指導は一年あまり続いただろうか。
やがて、私自身が結婚のために町を離れることになり、その教室も辞めることになった。
他の子どもたちには直接挨拶をしたけれど、E子ちゃんだけはお母さんに替わってもらった。
「実は結婚のために教室を辞めることになりまして……」
他の子たちには単に次から担当が替わるとだけ言っておいたのだけれど(例のおしゃべりな女の子にだけは「結婚するんだ」と教えた)、E子ちゃんだけは、なんとなく、きちんと理由を説明してあげないと納得できなくて、ずっと引きずるんじゃないか、という気がしたのだ。E子ちゃんに直接話すと混乱するのも目に見えていたので、「E子ちゃん、きっと戸惑うと思うので、お母さんの方から説明してあげてください。お願いします」と頼んだ。
E子ちゃんのことだけがとても気がかりな引退だった。

それから1か月くらいして、指導員がどうしても足りないから、と教室にピンチヒッターで呼ばれたことがあった。ちょうどE子ちゃんの指導にあたっている曜日だった。
「どうです、朝倉先生。久しぶりにE子ちゃんを教えてみませんか?」
と責任者の先生に言われて、私は首を振った。
「それは駄目ですよ。今、私がまた指導に出てしまったら、E子ちゃんはますます混乱して、いつまでも私を呼び続けますから」
新しく担当になった先生に、E子ちゃんは毎回「朝倉先生は」と言っていたのだ。
そして、それから間もなく、私は今住むこの町に嫁ぎ、その後はもう、教室に足を運ぶこともなくなった。

   ☆★☆★☆★☆

今なら、はっきりわかる。
E子ちゃんは、なにかしらの発達障害か、それに近い特徴を抱えるお子さんだったのだろう。
おそらく耳から聞き取る能力が極端に弱くて、そのために、電話での指示や指導が全然入っていかなかったのだ。矢継ぎ早に指示されるのも、混乱の元だったし、混乱してしまうと、いわゆるフリーズの状態になってしまって、何もできなくなる……そういうことだったのだ。
学校で勉強する教科書は、おそらく、E子ちゃんにはなじみがある、安心できる教材だったのだろう。正答を見て答えていただけ、という可能性もあったけれど、なんとなく、E子ちゃんには本当はそれを解くだけの実力があったんじゃないか、という気がしている。
ただ、「電話」というコミュニケーション方法が、極端に彼女には苦手だっただけのことで……。

でも、あの頃は教育関係者の間でも、発達障害についてはほとんど知られていなかった。
LDだけがかろうじて知られていた時代で、私は「E子ちゃんは、もしかしたらLDかもしれないですよ」と責任者に話したことがあった。
でも、責任者はあっさりとこう言い切った。
「いいえ、あの子は単にわがままなんですよ」
違う! と強く思った。わがままなんかじゃない。あの子はただ、本当にわからないだけなんですよ! と。
でも、あの頃の私には、それ以上のことを周りの人たちに説明できる力がなかった。LDというものがあるのは知っていたけれど、知っていただけで、それ以上、なにも詳しいことはわからなかったから。
もっといろいろ知っていれば、もしかしたら、教科書から教材の指導へつないでいくことができたかもしれない。自分だけでなく、他の先生にもE子ちゃんの指導ができるようになったかもしれない。
でも、本当に、あの頃の私は何も知らなかった……。

   ☆★☆★☆★☆

これはもう20年近くも昔の思い出話だ。
計算してみると、E子ちゃんも今はもう30近い歳になっている。
どんなふうになっているだろう、と今でも時々考える。どんな人生を歩んで、そんな大人になっているだろう。
電話だけでなく、きっと日常生活でも、いろいろ大変なことを抱えていたはずだけれど、それを乗り越えて、今は幸せでいてほしいと思う。

そして、E子ちゃんを考えるとき、私の耳の底にはいつもE子ちゃんの声がよみがえってくる。
「△△先生は……」
「×番って言われた……」
戸惑っているE子ちゃんの声。混乱の中で、必死で「わかるもの」にしがみついて、それを繰り返している声。
それを「わがまま」と決めつけないで、しっかり気持ちを受け止めてくれる先生が、学校にもその他の教育現場にも、一人でも多く増えていってくれますように。
今も現場に大勢いる『E子ちゃんたち』のために、私はいつも、それを祈ってしまう。

[06/02/10(金) 15:32] 発達障害

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