昇平てくてく日記2
小学校高学年編
通級と固定級を考える
特別支援教育ガイドラインの中でも積極的に勧められている考え方に、「通級」というものがある。籍は通常学級に置きながら、個別指導が必要な学科だけ特別支援学級に行って授業を受ける、という支援体制だ。
ゆめがおか学級にも、現在、5年生と6年生が1人ずつ通級に来て、国語と算数を学習している。30人余りの学級の一斉授業では理解しにくかったり、学習の進度について行きにくかったりするのだが、ゆめがおかでは、理解の状況を確認してもらいながら、それぞれの学習スタイルに合わせた指導が受けられるので、学力がめきめきと伸びて、2人ともとてもよく理解できるようになった……と2人のお母さんたちが言っていた。
勉強がわかるようになるのは、子ども自身だってとても嬉しい。特に5年生の子は通級に来るのをとても楽しみにしていて、ゆめがおかでは目をキラキラさせながら学習しているという。そういう話を聞くと、「通級」という新しい体制ができて本当に良かったなぁ、と思う。6年生の子も、毎朝学級に来ては、「今日は○校時目に国語(算数)に来るから」と報告していく。やっぱり、ゆめがおかでの学習を楽しみにしているようだ。
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この「通級」という制度が勧められるようになった時、逆に、「固定級(特殊学級)を廃止しよう」という動きになったことがあった。支援の必要な子どもたち全員を通常学級に置き、必要な学科だけ特別支援学級に通級させる、という考え方だ。つまり、今のゆめがおかのような学級をなくして、全部を通級指導のための学級に変える、ということになる。
実際、子どもに支援が必要だとわかって、教育委員会や学校から固定級への入級を勧められても、すんなりOKする保護者は少ない。うちのように、「特殊学級のほうが……」と言われて「はい、お願いします」と即答する親はめったにいないから、教育課の課長さんなどは逆に面食らった顔をしていた。
だけど、子ども全員を通常学級に置くことが「公平」というわけではない、と私は思う。
「固定級」廃止論が出てきた時、それを言っている人たちの頭には、「子どもを特殊学級(固定級)に入れるのは差別になる」「通常級に在籍できることは子どもの権利だ」という考え方があったように感じられた。
差別。そうだろうか?
そう考える人の考え方の中にこそ「差別」があるように、私には思えた。
昇平は目で見て場面を理解したり、耳で指示をしっかり聞き取る、ということに、かなりの困難を抱えている。
30人もいる学級で担任が全体に向かって話をしていても、なかなかそれが理解できない。周りの子どもたちの様子を見て、今、自分が何をするべきかをなかなか読み取れない。集中力も続かないから、すぐに気持ちがそれる。学習の場面だけでなく、生活のあらゆる場面でそれが起こるから、大勢の中ではただただ戸惑って、不安になってしまう。そして、不安になった時、昇平は自分の持っている力をほんの少ししか発揮できなくなる。わかるものもわからなくなるし、言動も不安定になってしまうのだ。
昇平には、少人数の見通しの立ちやすい教室と、授業と、その中での人間関係が絶対に必要だった。担任の目がすぐ行き届くような、そんな学校生活が必要だった。
だから、私たちは昇平の入級先を特殊学級にした。
昇平は、ゆめがおかを母学級にして、そこで学校生活の基礎を身につけながら、できる科目から少しずつ通常学級の授業に参加した。いわば「逆通級」だ。1,2年生の時には音楽と体育、3年生では音楽、体育、理科、4年生からはそこに図工が加わって、5年生からは社会が増えることになっている。
こうなると、来年度からゆめがおかで学習するのは国語と算数と家庭科だけということになる。通級に来ている子どもたちと、ほとんど同じ状態だ。
でも、やっぱり今の昇平を通常学級に移すのは負担が大きすぎる。
ぼくは絶対にうまくやれる、という自信をもてる場所は、やっぱり、ゆめがおか。通常学級に行っている間に何か困ったことが起こっても、ゆめがおかの担任に話せば、すぐに解決のために力を貸してもらえる。その安心感は計り知れないくらい大きい。
いつかは、もしかしたら、昇平も通常学級に籍を移す日が来るのかもしれない。でも、それは彼に充分それだけの力が育ってからの話だ。今の彼にはゆめがおかというベースキャンプが絶対に必要だし、たとえ将来、そういう日が来なくても、私たちは別にかまわないと思っている。一番大事なのは、昇平が学校で安心して過ごせることだし、そこで充分に学び、自分の能力を伸ばしていけることだから。
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先日参加した研修会で、ある方からこんな質問をされた。
「やっぱり子どもは通常学級に置くのが一番幸せなんでしょうか?」
私と、一緒に参加していた某親の会の会長さんは、同時に答えてしまった。
「そのお子さんの状態によります!」
困難があったとしても、通常学級の担任の理解と配慮と支援で充分伸びていけるお子さんもいる。
それだけではどうしても間に合わないけれど、通級で教科学習を支援してもらえば、あとは通常学級で問題なく過ごせるお子さんもいる。
昇平のように、固定級をベースキャンプにして、通常級に「逆通級」することで力を伸ばしていくお子さんもいる。
一日のほとんどを固定級で過ごすことで、安定した学校生活を送れるお子さんもいる。
普通学校の特別支援学級より、養護学校(特別支援学校)で、生活のための支援や教育をしっかりしてもらったほうが、生きる力を伸ばしていけるお子さんもいる。
それは本当にケースバイケース。そのお子さん、ひとりひとりの状態によって違う。
だから、「普通学級がよい」「通級の方がよい」「固定級の方がよい」と、断定的に言わないでほしいな、と思う。
子どもは本当にそれぞれで違うから、そのそれぞれの状態に合わせて、一番良い学習の場所を選べるように、その選択肢はたくさんあった方がよいのだから。
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ただ、毎朝、担任がその日の時間割を黒板に書いているのを見ると、本当に大変だな、とは思う。
ゆめがおかの子どもたちは3学年に渡っている。複式学級ではなく、複々式の状態なのに、そこに通級の子どもたちも来るから、その子たちの授業も組み入れていかなくてはならない。複々々式、複々々々式……。
各通常学級での予定が、その日の朝になって急に変わることもしょっちゅうだから、担任はそれをにらみながら、毎朝授業を組み立てている。とてもじゃないけれど、並の教師にはつとまらない。状況によるけれど、経験浅い教師にも、かなり負担が大きいだろうと思う。
森村先生もドウ子先生も、普通学級担任の経験が長いベテラン教師だし、しかも、力のある先生たちだから、それでも素晴らしい指導をされているけれど、私の目には、それは「職人芸」に映る。通級を担当する教室の先生を支援する体制も必要だ、と心から思う。
それに、今はまだ、どの学校にも通級ができる制度が整っているというわけではない。通級したくても学級や指導できる先生がいなくてあきらめているケースも、別の学校まで通級に行っているケースもある。その往復は家族が車で送り迎えをすることが多い。家族にも本人にも負担が生じるし、往復にかかる時間もロスになる。
通級にしても、まだまだ解決するべき問題は多い。
一番大事なことはなんだろう? 学校の一番の役目は?
よくわかる授業に目をキラキラさせる5年生の子のように、「協力学級(交流学級)に勉強に行ってきまーす!」と張り切って出かける昇平のように、子どもたちが安心して楽しく学び過ごせること。それが、一番の学校の役目だと思う。
日本の特別支援教育は、まだまだこれから充実していく分野だけれど、そのことを忘れずに進んでいってほしいなぁ……
と、つくづく考えている。
[06/02/26(日) 20:09] 学校 発達障害