昇平てくてく日記2
小学校高学年編
去りゆく先生方
3月31日、私と昇平は四人の先生方を見送った。
ゆめがおか1の担任だったE先生、協力学級の4−3の担任だった弓子先生、1,2年の時の協力学級の担任だった田辺先生、そして、学童の指導員だった鴨原先生だ。
E先生は昇平が2年になったときに、隣の学級の担任として赴任していらした。あと3年で定年退職という、教師最後の場のゆめがおかだった。特殊学級の担任をするのも初めてだとうかがっていた。
定年間際で初めての特殊学級担任――と聞くと、多くの人は疑わしげに首をひねった。漫画『光とともに・・・』に、定年寸前で「きっと楽だろうから」と言って安易に養護学級(特殊学級)の担任を希望してくる郡司先生という女の先生が登場するけれど、ちょうどあんなイメージを持たれてしまうらしい。
けれども、E先生は見事にそのイメージをうち破ってくださっていた。とにかく勉強熱心! 毎月お読みになる障害関係の本の数は、私など足元にも及ばなかった。研修にも出かける。他の先生の良いことは見習おうとなさる。
私は教師の勉強だけはしてきたけれど、もしも実際に教師になっていたとして、定年間際にE先生と同じ立場になったとき、はたして先生のようにできるだろうか、と常に考えていた。最後の最後まで教師であろう、子どものために何かをしていける教師であろう、と考えていらっしゃるのが伝わってきて、ただただ尊敬だった。
弓子先生は、この日記にも時々登場してきたが、障害のあるなしに関わらず、クラスの子どもたちひとりひとりをよく見られる担任だった。弓子先生のもとで、4−3の子どもたちは本当に生き生きと過ごしていた。昇平は、その中のひとりだった。
昇平のことで困ったことが起きると、弓子先生はあっという間にゆめがおかの教室まで来て、ドウ子先生と話し合っていた。困ったことがなくても、いろいろな場面でやっぱり話し合う。弓子先生とドウ子先生の連携ぶりは見事だった。
離任式の時、弓子先生はクラスの男の子たちから抱きつかれていた。そして、先生が校庭に並ぶ全校児童の間を通り抜け、車に乗り込むまで、クラスの子どもたちは先生を追いかけていた。子どもたちに本当に信頼され、好かれている先生だった。
私の前を通った時、弓子先生は私の手を握って言われた。「ここを去ることは本当に残念です。私はお母さんたちのために何かお役に立てましたでしょうか?」
聞いたとたん、私は涙が出そうになった。お役に立ったどころか……! 昇平がこの一年間、4−3で充実して過ごせたのは、ひとえに弓子先生のおかげです。先生、本当にありがとうございました。
田辺先生は昇平が1年から2年にかけての協力学級での基礎を作ってくださった。特殊学級の担任の経験があるという話し通り、本当に安心してお任せしていられる担任だった。田辺先生と森村先生のコンビぶりも、とても安心感があって、学校に子どもを入れたばかりの私たちには本当に心強い存在だった。
3年以降、クラス担任ではなくなって、田辺先生とお話しする機会はめったになくなってしまったけれど、それでも、校内ですれ違うたび、いつも感謝を込めて会釈していた。離任式の日には、昇平から小さな花を贈らせていただいた。
そして、夕方からは学童のお別れ会。昇平はこれで学童を卒業。そして、本当にお世話になった鴨原先生も学童を退職して、四月からは新たに幼稚園の先生としてスタートされることになった。
鴨原先生がいてくださったおかげで、昇平は安心して学童で過ごすことができたし、その中で「友達と遊ぶのは楽しい!」という気持ちに目覚めていった。この気持ちを昇平に育んでもらえたことは、本当にことばに尽くせないくらいありがたかった。
勉強熱心で、熱意があって、子どものことを心から考えてくださっていた鴨原先生。今度はもっと小さい子どもたちを相手に、また体当たりの熱い指導をされることだろう。先生のお力が、新しい職場でも存分に発揮されますように!
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学童が終わって、毎日家にいるようになった昇平。さぞ退屈するかと思いきや、けっこう自分なりに楽しそうに時間を過ごしている。自分から母に呼びかけて、一緒におやつ作りをしたり、夕飯の支度を手伝ったり。今日は「Cくんちに遊びに行きたい」と言いだして、自分でCくんの家に電話をかけて、今までで一番長い時間、Cくんの家で遊んできた。Cくんは間もなく中学生だけれど、家は近いから、これからもきっと一緒に遊ぶことができるだろう。
そして、そんな昇平の姿を見ていると、その中に、昇平に関わってきてくださった大勢の先生方の姿が見えた。
E先生、弓子先生、田辺先生、鴨原先生、そして、森村先生、ドウ子先生……。
大勢の先生方が、昇平の中にたくさんのものを育ててきてくださった。友達と遊ぶのは楽しい、という気持ち、仲良く遊ぶためにはどうしたらよいかというスキル、自分の想いを伝えること、相手の気持ちを思いやること、友達として遊ぶための基盤作り、親である私たちへのフォロー……。
先生方はいつか子どもたちと別れていく。別の新しい子たちのもとへ行くこともあれば、E先生のように教職を退かれることもある。けれども、先生方が昇平と関わってくださったことは、生涯、形を変えて昇平の中に残り続けるんだ、とつくづく感じた。
E先生が退職記念にゆめがおかの子どもたちに『だいじょうぶだいじょうぶ』という絵本(いとうひろし・作絵/講談社)をくださったけれど、それがそのまま、E先生のお声で聞こえてくるような気がした。
「昇平くんたちにはこれからもいろいろなことがあるでしょうけど、でも、みんな大人になっていって、いろいろなことがわかるようになるものね。だから、だいじょうぶだいじょうぶ。きっと、だいじょうぶなのよ……」
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だけど、離任式で先生方を見送った後、私は思わず前を行くドウ子先生を引き止めてしまった。
「ドウ子先生、お願いですから、昇平が卒業するまではいてくださいね」
先生はちょっと目を丸くして振り返った。
「卒業までって、あと何年ありましたっけ?」
「あと2年です」
「ああ、それならだいじょうぶ。きっとそれくらいはいますよ」
いつもの口調で、いつものように、ドウ子先生は明るく言ってくださった。それが本当に心強くて嬉しかった。
子も親も、自分たちだけじゃないとわかるから、心強くなって、がんばれる。
支えられて、前に進める。
先生方、本当にありがとうございます――。
[06/04/04(火) 20:34] 学校 発達障害