昇平てくてく日記2

小学校高学年編

家庭訪問〜教師の「連携」を考える〜

 さて、GWも終わり、家庭訪問を実施している学校も多いらしい。こちらでは4月下旬に家庭訪問が終了しているが、その時に「教師の連携」というものをつくづくと考えたので、それを書いてみようと思う。

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 今回の家庭訪問には、昇平のクラス担任のドウ子先生だけでなく、隣のゆめがおか1組の原先生も一緒に来られた。
 今年、1組は3年生が1名だけ、それに対してこちらの2組は2年生から6年生までの男女が5名、しかも、そのうちの2名は転校生と普通学級からの転入生、さらに加えて言うならば、まもなく普通学級から6年生のTくんが、また2組に通級に来る予定になっている。(今は新学期がスタートしたばかりなので、少しの間通級は休みになっている。)
 こういうアンバランスで大変な状況には、両学級の担任が協力して対処していかなくては、ということで、今年のゆめがおかは、生活全般の指導を2クラス一緒に行い、個別授業は、その子ひとりひとりの状況に合わせて、2つの教室を臨機応変に使い分けることになった。だから、担任も1組2組の枠を越えて、すべての子どもたちに関わってくれている。補助の西尾先生も同様で、両クラスの子どもたちに隔てなく支援の手を差し伸べている。
 これまで、家庭訪問はクラスの担任だけが来ていたが、そんな状況をふまえて、今年は両クラスの担任が揃って訪問してくれることになったのだ。

 ゆめがおかの家庭訪問は長時間に渡る。普通学級では通常、15分刻みで他の子の家へ移動することになるのだが、ゆめがおかでは最低でも30分の枠が確保される。我が家は、その日の順番の一番最後だったこともあって、次を心配することもなくあれこれ存分に話ができて、気がついたときには、時計は1時間半を軽く回っていた。
 そして、その間、ドウ子先生と原先生は、本当に良い雰囲気で話をしていた。ドウ子先生の言うことを原先生がフォローし、原先生の話をドウ子先生が具体的に説明し、ドウ子先生が「原先生はベテランだから、もうすっかり頼っちゃってます」と言えば、原先生も「ドウ子先生は反応が素晴らしくて! 私はぼーっとしているから、とても真似できないわ」とほめる。そんな二人の担任の様子を見て、私も、何とも言えず嬉しく暖かい気分になっていた。話を聞いているだけで、お互いに補い合い、良いところを認め合っているのが、ものすごく伝わってきたから。

 特別支援教育は、担任ひとりが抱え込んでしまわずに、複数の先生方で協力して子どもに対応していくことを勧めている。でも、実際のところ、教師というのは孤独な職業で、特にたったひとりでクラスを運営している担任になると、自分のクラスの子どものことで対応に困ったりしても、なかなか他の先生方に協力を求めたりできないことが、よくある。これは、私自身が先生になる勉強をしてきたし、友人や後輩たちに教師になった人がたくさんいるので、そこから感じることなのだけれど。
 教師だって、現実には困る。どうしていいのかわからなくて悩んでしまうのだけれど、それを他の先生方に相談すると、自分自身の指導力を疑われるような気がする。いや、実際に「あの先生には指導力がない」と思われてしまうことも、よくあるらしい。
 自分自身の力不足だ、自分ががんばらなくては、と考えて、いっそう自分に厳しくしながらがんばる先生方も多い。それで対応がうまくいけば、まあ良いのかもしれないけれど、困った行動を起こす子どもが実は発達障害などを抱えていたりすると、担任ひとりのがんばりだけではどうにもならないことはよくある。最初から担任ひとりでは担いきれなかったのに、それをひとりでがんばりすぎて、とうとうある日、精神的にポッキリ折れてしまう先生も出てくる。これは真面目で仕事熱心なタイプの先生に多いという。……そうだろうなぁ、と思う。

 先生方だって、協力しあって良いのだと思う。文科省は、それを「連携」と呼び、特別支援教育ではぜひ学校全体で「連携」して、子どもたちに対応するように、と勧めている。
 でも、現実問題として、その連携が難しい先生方もいる。真面目であればあるほど、自分ひとりで抱え込んでしまったり、連携を教師として恥ずかしいことのように思ってしまったり。 
 家庭訪問で話し合っているドウ子先生と原先生は、それとは対極にいた。
 もちろん、それぞれに受け持ちのところでは精一杯がんばるし、工夫もする。でも、お互いに困ったことには相談し合い、力を補い合い、一緒になって子どもたちに対応してくれている。
 家庭訪問の中では、昇平とトラぶっているIくんや、以前昇平がパニックを気にしていたL子ちゃんのことも話題に上がったのだけれど、「いずれ時間が解決していくだろう」と考えて、私はあまり焦らなかったし、その他のことでも、特に心配になる話は出なかった。これはやっぱり、その時目の前にいた二人の担任が、私に安心感を与えてくれたからだろうと思う。前回の記事にも書いたけれど、本当に、「今年はこの担任たちに昇平を預けておいて大丈夫!」と私自身がものすごく感じてしまっているのだ。
 連携して子どもたちに当たっている担任たちが与えてくれる安心感なのかもしれない。
 家庭訪問にはいらっしゃらなかったけれど、補助の西尾先生がまた、出しゃばりすぎず、でも必要なところに素早くさりげなくフォローに入れる方で、両担任は、西尾先生のことも家庭訪問中に口々にほめていた。これだけの状況なのだもの、保護者としては安心なことこのうえない。今年のゆめがおかは、本当に期待できるんじゃないかと思う。(と書くと、担任たちにはプレッシャーになってしまうかな……? 笑)

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 この家庭訪問で、もうひとつ、ものすごく嬉しい話を聞くことができた。
 昇平が通う小学校の先生方が、ゆめがおかの子どもたちにとても関心を寄せてくれている、というのだ。
 子どもたちはそれぞれに、協力学級と呼ばれる普通学級に、いくつかの授業を受けに行っている。昇平は今年、体育・音楽・図工・理科・社会の五教科を協力学級で受けている。他の子たちも、それぞれの得意不得意に合わせて、協力学級で受けられる授業を選んで参加している。子どもによっては、昼の給食まで協力学級で食べてくることもある。
 新学期が始まるに当たって、職員室の中の机の配置を決めたときに、昇平の今年の協力学級の担任が、「ゆめがおかの子どもたちの話がしやすいように、ドウ子先生たちの机は協力学級の担任に近い場所にしてもらいましょう」と提言して、それが実施されたのだそうだ。おかげで、ドウ子先生と原先生の机は、今年職員室の真ん中にあるそうだ。周りを見回せば、手の届く距離、声がすぐ届く距離に、すべての子どもたちの協力学級の担任がいるので、何かあれば、すぐにお互いに話をすることができるのだという。
 それに、協力学級の担任たちは、みんなとてもフットワークが軽い。授業に来た子どもたちのことで、気がかりなこと、困ったことがあると、どんな小さなことでもすぐにゆめがおかまで下りてきて、ドウ子先生たちと話をしていく。悪いことだけでなく、その子が授業中に見せた良かったこと、がんばったことまでこまめに報告に来てくれて、それが連絡帳に書かれてくるので、親としてもとても嬉しい気持ちになる。ゆめがおかでの様子を知るのはもちろん嬉しいけれど、協力学級であった良いこと、がんばったことというのは、嬉しさがひとしおなのだ。
 先日は、授業が始まる前の時間に、昇平の3年の時の担任だったみのり先生が、わざわざ自分の教室からゆめがおかの前まで下りてきていたのだそうだ。みのり先生は間もなく産休に入られるので、今年、ゆめがおかの子どもを受け持ってはいない。ドウ子先生が驚いて「どうしたの?」と尋ねると、「新しく転校生が来たって聞いたから、産休に入る前に自分の目で見て確かめておこうと思ってねー」とみのり先生は答えたのだという。担任でもなければ、同じ学年でさえない転校生のことを、そんなふうに気にかけてくれているのがわかって、本当に嬉しかった、とドウ子先生は話していた。しかも、産休前の大きなお腹で、階段をいくつも下りて、わざわざゆめがおかの教室まで来てくれていたのだ。
 この学校の先生方は、担任であってもなくても、ゆめがおかの子どもたちに関心を向けてくれている方が本当に多い。それが、受け持ちの子どもたちにも伝わっていくのじゃないだろうか。先生方も子どもたちも、昇平たちを本当に温かい目で見てくれているのを、しばしば感じている。

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 文科省も勧める、先生方の「連携」。それってつまり、どういうことだろう、と考える。

 それはきっと、同じ学校にいる先生たちが、受け持ちだろうがなかろうが、支援の必要な子に目を向けて、いつでも話ができる環境を作っていくことなんじゃないだろうか。
 昇平たちは、ゆめがおかという特別支援教室にいるからわかりやすいけれど、実際には、普通のクラスの中にこそ、理解と支援が必要な子どもたちがいる。その子たちのことを、クラスという壁を越えて、相談したり、一緒に対応を考えたりできる環境作りをすること。それが、学校における教師の連携なんじゃないだろうか。
 話をしていけば、きっと、その子への理解は深まる。もちろん、理解のための正しい知識は必要だけれど。(「あの子はダメな子だからor親の育て方が悪いから、あんなことをするんだ」という話をするだけのことなら、そんなのは連携でもなんでもない。)
 そして、教師という人たちは、子どものことを正確に把握して、「その子に対してどうしようか」と考え始めたとき、必ず枠を越えて関われるようになる専門家なのだ。これだけは、はっきり言える。クラスの子じゃないから、受け持ちじゃないから、あの子と自分は関係がない――そんなことを思う教師は、まず存在しないのだ。教師は、学校全体の子どもたちにとって教師。そういうものだから。
 教師は連携の素地は持っているのだと思う。だから、きっと、これからはそのための環境を整え、実際に話し合いを持ち続ける時代なのだろうと思う。ドウ子先生たちは、その先頭を切って走っている教師なのかもしれない。そして、そこへ我が子を通わせている私たちは、ひょっとしたら、とても歴史的な瞬間に立ち会っているのかもしれない。ちょっと大げさかもしれないけれど、そんなことさえ考えている。

 「連携」する教師たちが、どんな力を発揮していくのか。
 それはすべて、子どもたちの姿に反映されていく。
 子どもたちは、きっとますます伸びていくだろう。それを見られるに違いないことを、私は、心から嬉しく感じている。
 そして、私は親として、自分にできることを精一杯やっていきたいな……と改めて考えている。
 

[06/05/10(水) 11:05] 学校 発達障害

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