昇平てくてく日記2

小学校高学年編

福祉ネットワーク「こくっぱ家の人々」を見た!・2

 前回の日記は放映を見た直後に療育掲示板に書き込んだものを、思い立ってブログに移しただけだったので、あらためて日記用に書いてみます。
 まずは、福祉ネットワークに登場した「こくっぱの母さん」と私の関係の説明からかな。

 今を去ること7年前、昇平に障害があると正式に分かった頃、私は情報を求めてインターネットの世界をさまよっていました。……と書くと、なんだか悲壮なムードが漂いますが、実際にはあまり悲観はしていなくて、「うーん、どっかに手がかりが転がってないかな?」という気持ちだったような気がします。とにかく昇平を育てるのは大変でしたが、普通の子育てのノウハウではとても対応できないのも現実だったので、私としては、ちょっとでもいいから子育てのヒントが欲しかったのです。あの頃は、やっとADHDが日本に紹介されたばかりの時代。発達障害に関する本もサイトも、ほとんどなかったですからね。「どっかに仲間はいないかな?」とも考えていました。
 その中で出会ったのが、サイト「ことばと発達の学習室」と、そこの掲示板。同じような子育てをしながら前向きでいるお母さんたちが次々に集まってくる、素敵な掲示板でした。
 私は、正直、我が子に診断を受けても、ほとんど落ち込まなかった母です。それ以前に、障害があるともう分かってしまっていましたから、「ああ、やっぱり」と思った程度でしたし、それにショックを受けるよりは、「じゃあ、どうしようか?」ということのほうにエネルギーを使いたかったので。
 たぶん、こういう子どもを持つお母さんたちの中では、珍しいくらい割り切りが早いタイプだったのかもしれません。そして、同じ掲示板で出会ったこくっぱの母さんもまた、同じタイプの母親でした。障害がある。それは変えようのない事実。でも、変えようがないなら、いつまでもくよくよ思い悩んでいたってしょうがない。それよりは、どうやったら「楽しく」その子と暮らしていけるか、そっちを考えていきたいなぁ。私も、こくっぱの母さんも、そう考える母親でした。
 そして、その掲示板には、私たち以外にも、同じ考え方をするお母さんたちが何人も集まっていました。連日、掲示板には前向きなコメントが書き込まれました。何か困ったことがあると、わっとみんなでいっせいに考えたり、アドバイスしたり、いろんな角度から見たり、経験談を語ったり……。
 その中でも古株のお母さんたち(「古狸」と呼ばれています)やサイト管理人さんと一緒に、昨年は本も出しました。『とことんこのこにこだわって』という本です。タイトルの通り、自分の子どもの特徴をとことん考え、それに合わせた対応を考えていこうよ、という内容の本です。こっち側の基準に彼らを合わせようとしないで、子どもたちの基準にこちらを合わせて考えてみよう、ということを言っています。……言っているつもりです。(笑)

 まさしくそのことを、こくっぱの母さんは「福祉ネットワーク」の中で語っていましたね。
「こちらを子どものものさしに合わせる」
 そう、そういうことなのです。
 だけど、それは一方的にこちらを向こうに合わせてしまう、ということでもないのです。それをやろうとすると、今度はこちらにストレスがかかってきて、一緒に暮らすのがとてもつらくなります。時に見かけるんですよね。障害者を「受容」しなくちゃいけない、と必死になっていて、涙ぐましいくらい全身全霊でその障害者に自分を「尽くして」しまっている方……。美談に取り上げられることさえあるけれど、私は正直、首をひねります。誰かが誰かの犠牲になるような生活がはたして美しいんだろうか、と。向こうもこちらも生きて生活しているんだから、「一緒に楽しく」生活できることをめざすのが本当じゃないかな、と。

 テレビの中のこくっぱの母さんの子育ては、とても自然体に映ったと思います。子どもたちが何をしても、どーんと落ち着いて受け止めて、焦らない。そして、子どもたちの思うように行動させている……。
 でもね、だからといって、母さんの子育てが「放りっぱなし」の子育てというわけじゃないんですよね。
 こくっぱ君が新学期当日、学校に行き渋った場面がありました。母さん、こくっぱ君の様子を観察しながら、時々声をかけたり起こしたりしながら反応を見て、タイミングを計っています。着替えを手伝ってやるのも、行く気持ちにさせるための働きかけ。またベッドに戻ったところを、無理に引っ張り出そうとするお兄ちゃんを制止して。もうちょっと待ってて、時間があるから、と声をかけたのは、お兄ちゃんだけでなく、こくっぱ君に見通しを立てさせるため。やっと行く気になったこくっぱ君に「まだ(時間が)早いよ」と引き止めようとするお兄ちゃん、お姉ちゃんたちを、「そんなこと言わんといて、やっと行く気になったのに」(う、広島弁が再現できない)と、すばやく制止。……それらの一連行動すべてが、一瞬一瞬の状況判断と経験に基づいた「働きかけ」なのが見えて、私としては、もう面白くて面白くて。
 放りっぱなしの子育てなんかじゃないですね。放りっぱなしなら、ただベッドに潜らせておけばいい。「新学期だから行きたくないんだね」と言って、後はそのまま寝せておけばいい。疲れ切ってどうしても学校に行くエネルギーがないときなら、その対応でも良いけれど、学校に行き渋るたびにそれをやっていたら、きっと彼らが学校に行ける日はほとんどなくなるでしょう。
 本当の「受容」、本当の意味での「その子に合わせた対応」ってのは、こういうことなんだよなぁ、とテレビを見ながら、改めて思っていました。

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 ところで、テレビを見ていて、私がどうしても気になった部分がありました。
 取り上げられる場面と同時に流れるコメントを聞いていると、なんだか、母さんが「つらいことも苦しいことも山のようにあったけれど、それを強く乗り越えて、今のような動じない肝っ玉母さんになりました」みたいなイメージを受けることです。
 いえ、確かに客観的に見ればそういうことになるのかもしれないけれど……うーん、なんか違う。全体として、しっとりじんわり、子どもを大らかに受け止めてる素敵な母、というイメージで統一されているけれど。確かに実物もそうなのだけれど、やっぱり何かひと味違う。
 と違和感にジタバタしていたら、『とことん』本を出した仲間のひとりである、ひいろさんが言いました。(注:我々は何かあるとネットで連絡を取り合っています。)
「テレビを見た人が、『こくっぱの母さんは、こうなるまでにきっといろいろな山を乗り越えてきたんでしょうね』と言ってきたから、かーさんは、昔から『山を乗り越える人』ではなく『山を背負い投げする人』です、とフォローしておきましたよ」
 これには仲間一同大受け。『山を踏み潰す人』だよね、とか『山を握りつぶす人』だよね、とか大笑いしていたら、母さん自身が出てきていわく。
「確かに、山を越えた覚えは無いわ。気がついたら、山は木っ端みじんにくだけていたのさ」
 大爆笑。
 ん〜、これだからこくっぱの母さんって大好きなのよね〜!!

 今回の福祉ネットワークに、充分描ききれない部分があったとしたら、きっとそれは、母さんが「子育てを楽しんでいる場面」が足りなかった、ということだと思います。
 母さんは、確かに滅多なことでは動じない肝っ玉母さんで、その点では古狸の中でもピカ一です。でも、それだけじゃないんですよね。母さんは同時に、子どもたちを本当に思いっきり「楽しんで」いる。愛情も(さりげない)手もかけながら、それと同時に、本当に子どもたちのありのままの姿を楽しんでいるから、だから、母さんは滅多なことでは動じないんです。
 苦しい山を耐えて忍んで乗り越えて、そして肝っ玉母さんになったわけじゃなく、楽しく子どもと生活するうちに、いつの間にか山は目の前から消えていた。つまり、そういうことなんです。
 私たちも前向きタイプの母親ではあるけれど、こくっぱの母さんとはまた別の人間です。だから、母さんと同じようなお母さんになろうとは思いません。なろうったって、とても真似できないし。(笑)
 ただ、ひとつだけ、私たちも母さんとまったく同じものを持っています。それは、「我が子を楽しむ心」。
 子どもの姿が興味深いから。面白くて、愛おしくて、それが成長していく様子にものすごく感動するから。だから、この子と生活していくのが楽しい。だから、ありのままで生きていける。
 無理をして相手に合わせる生活はお互いに苦しいです。できるだけ楽に生きていきたいから、私たちは子どもを楽しく見つめていくし、子どもたちも、そんな親の気持ちを感じて、やっぱり輝く笑顔を見せてくれるのだと思います。

 テレビに映ったこくっぱ家の子どもたちの笑顔は、本当に輝いていて素敵でした。
 でも、うちの昇平の笑顔だって、負けないくらい素敵に輝いているよなー、と私は思ったのでした。親バカかもしれないけれど。(笑)
 この笑顔の輝きを守るために、私たちもまた、楽に楽しく暮らすことを目ざしていきたいなぁ、と考えています。

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福祉ネットワーク「こくっぱ家の人々〜発達障害の子どもと共に〜」
   再放送 5月23日(火) 13:20〜13:49
   NHK教育テレビ

[06/05/19(金) 11:22] 発達障害

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