昇平てくてく日記2

小学校高学年編

子育ての答え〜日曜参観の後で〜

 今日は日曜参観でした。授業を観た後、教育講演会があったのだけれど、私は同じ学級のお母さんたちと、誰もいない教室の中で1時間、子どもたちの話をたっぷりと。講師の先生、ゴメンナサイ。(汗)
 いろいろなお子さんがいます。多動衝動性がとても強い子、とても引っ込み思案で、2年間毎朝学校に行き渋っていた子、不登校で現在も学校に来られない子……。だから、親の想いや立場もそれぞれに違っていて。
 でも、話していて本当に感じるのは、親たちがみんな、自分の子育てに迷っていること。これで正しいんだろうか、これでいいんだろうか、と、みんな常に自問自答しています。かくいう私だって、実際には自分の子育てに自信なんてありません。と言うと、「えー?」と驚かれることもあるけれど、これは本当。私にだって、自分の子育てが正しいかどうかなんて、全然わからない。だって、どんな立派な専門家であったって、その子と親が、将来どうなっていくかなんて保証はできないはずだから。本当に、誰にも先は見えないのです。
 だから、自分の子育てに安心と行く先がほしくて、じたばたしてしまう親たちも多いのだけれど。

 でも、実際の子育てってのは、「今」を一生懸命やっていくしかないんじゃないかなぁ、と私は思っています。子育ての正解なんて、きっと、どこにもないんだろう、と。あるのはただ、「ベターを目ざそう」とする気持ちだけで。
 やってみて、子どもの様子を見て、うまく行かなかったら修正して、それがその子にうまくいったと思えば、それを続けて。その繰り返し、その積み重ねをするうちに、いつか子どもたち自身が育って大人になっていく……。それが実際の子育てなんじゃなのかなぁ、と思います。
 自分の子育ては不充分で不満足かもしれない。だけど、それを基礎にして、いつか、子ども自身が自分の足で歩き出すのだとしたら、親である我々が、子どもに必要な「すべて」を作って上げる必要もないんじゃないかしら……と。

 もちろん、だからといって、子どもと向き合うことをしなくていい、というわけじゃありません。愛情をかける必要がない、ということでもありません。ただ、自分の子育てに自信がない、と言って悩んでいるお母さんたちを見ていると、ほとんど例外なく、子どもとちゃんと向き合おうとしている親だから、それを言う必要がないんですよね。子どもと向き合おうとするからこそ、子どもを愛しているからこそ、自分自身の子育てに迷い悩んでしまう――私にはそんなふうに見えています。

 親同士、いくら話し合ったって、結論は出ません。だって、答えはそれぞれの子育ての中で、子どもと共に生きながらでしか見つからないから。
 でも、「不充分でもいいんだよ」「悩みながら『今』を一生懸命やることこそが、子どもと向き合うってことなんだよ」と聞いただけで、気持ちが楽になるということもあるみたいです。きっと、それは、子育てに悩んでいるのが自分だけじゃない、とわかるからなのかもしれません。仲間がいて、話し合ってうなずきあえるのは、本当に素晴らしいことだと思います。

 話し合った後、お母さんたちみんなの顔が、少し明るくなっていたような気がしました。
 もちろん、私自身の顔も、きっと……。

[06/06/18(日) 21:00] 学校 日常 発達障害

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