昇平てくてく日記2
小学校高学年編
講演会に〜「連携」を求めること〜
ここでは今「半分自力下校」シリーズを連載中だけれど、昨日あった講演会と、それを聞いて私が考えたことを、飛び入りで書こうと思う。
昨日は、私が所属している福島ADHDの会『とーます!』保護者部会主催の講演会が、福島市内であった。参加者数は多すぎず少なすぎず、講師の声が後ろまでしっかり伝わってきて、話の内容がよくわかる、非常に適度な感じの入りとなった。運営スタッフのひとりとしては、ホッとしたりして。(笑)
実は今、昇平は学校でけっこう大変だったりする。特に社会科が難しいらしくて、授業中に騒いでしまって、協力学級の他の子たちにも迷惑になってしまっているのだ。(これに関しては、半分自力下校シリーズが完結したら、改めて「てくてく日記」に載せる予定) 担任、協力学級の担任、社会科を教えている先生、介助の先生、親である私……一堂に会して、とまではいかないけれど、連絡帳などを通してずいぶん話し合っているつもりではあるけれど、なかなか決め手というか、うまい対応が見つからないでいる。クラス替えがあって、新しく一緒のクラスになったお友達も多いので、その中で昇平が誤解されていくのもつらいし、でも、社会科の授業を受けることで、本人の中に社会的関心が伸びてきたのも事実だし……。いろいろと悩むところ。
講演会では、子どもの持つニーズを知った上で、その子だけでなく、クラス全体の子どもたちが自由に使える形で、子どもの苦手を補う工夫を、と呼びかけていた。昇平は板書の量が多くなると、とたんに騒ぎ出すらしいけれど、黒板を写すのにデジカメを使ったり(で、後から休み時間にゆっくりノートに写す)、イラストでノートを取ったり、書き写す量の少ないプリントを作ったり……とやっていけば、その子だけでなく、他の同じように板書が苦手な子たちも助かり、ひいてはクラス全体の学力向上につながるはずだ、と講師の品川さんは話していた。
昇平にもそういう工夫があれば、もしかしたら授業がわかるようになって、騒ぎも少なくなるのかも、とも思う。でも、その希望、その工夫のお願いを、担任ならともかく、その教科だけを教えに来る先生にもお願いできるのだろうか、と考えると、やっぱり悩んでしまう。「それじゃいけないのよ! 学校の子どもたちは教師全体で指導していくものなんだから!」という声が聞こえてきそうな気もするけれど、でも、現実はねぇ……。「実際のクラス運営を考えると、限界があります」と言われてしまうと、親としては何とも。(苦笑)
その一方で、昇平自身が大きな成長期に入って、自我や意志というものが強くなってきた分、自分をコントロールする力が相対的に弱まってきている可能性もある。
「連携」と一言で言うけれど、実際のところ、子どもに関わる人が多ければ多いほど、連携をとるのは大変になってくる。昔のように、親だけの工夫、親と担任だけの工夫でなんとかなっていた時代のほうが、よほど楽だったと、しみじみ考えたりもする。昇平をもう一度、親の腕の中に囲い込んでしまうことのほうが、ある意味楽なのだ。全部、親が勉強を見てやって、親が指導して、学校なんかあてにしないわ! と言ってしまえた方が、もしかしたら楽なのかもしれない、とも思う。
だけど、将来昇平が、自分自身の力で社会を生きていくことを考えると、今一瞬はそれで良くても、長い目で見たときには、絶対にそれは本人にとってマイナスになっていくと思うから……。
どんなに困難に見えても、なかなか成果が現れてこなくても、やっぱり私は連携を目ざしたい。
親がひとりでがんばってしまわないで、子どもに関わる人たちすべてと、できるところで力を出し合いながら、一緒に昇平という子どもを育てていきたい。
とりあえず、私は親としてできることをやってみようと思っている。病院へ行って、学校での現状や昇平の様子を話して、どんな環境調整が必要なのかを主治医と相談してこようと思う。もしかしたら、体が成長してきて、お薬の必要量が変わってきている可能性もあるから、そのあたりも話して。最近、視力の低下も気になり始めているので、眼科にも連れて行って、視力検査も受けさせて。必要ならメガネをかけさせて。……ただ、それだけで本人の行動が大きく変わるとは思わないけれど。C−SST(子ども向け社会技能訓練=お友達と仲良く過ごすための練習)の集中講座もあるので、それにも申し込んだ。
本人に何が必要か。本人と周囲の人たちが楽に気持ちよく暮らしていけるようになるにはどうしたらいいのか。
そのために、できることは何か。訴えていけることは何か。
最終的にはあきらめる必要もあることも、念頭に置きつつ……。(苦笑)
つないでくれる手を求めて、もうしばらく試行錯誤してみよう、と考えている
[06/06/25(日) 07:52] 学校 療育・知識 発達障害