昇平てくてく日記2

小学校高学年編

社会科を小集団学習にする

 さて、5−2で受ける授業の中でも、今年から始まった社会科で、特に不平不満や暴言が多い昇平。その原因を詳しく知るために、介助の西尾先生に代わって、ドウ子先生が授業についていって、詳しい学習の記録を取ってくれた。
 その詳細はこちら→ 「6月26日の社会科の様子」
 記録を見る限り、社会科の担当であるW先生の声かけの内容や、隣の席にいるドウ子先生の指示が足りないわけではないのはよくわかる。この日、ドウ子先生は観察者なので、これでも指示や援助は控えめにしている。普段一緒に授業についてくれている西尾先生は、もっときめ細やかに昇平の支援をしてくれているのだという。個別に指示されて、本人も、教えられたように線を引いたり、黒板をノートに書き写したりしている。
 けれども、記録の中からはっきりと読み取れるのは、「社会科の授業に関心が持てなくて、自分のやりたいことをやっている昇平」の姿だった。

 社会科そのものに興味がないわけではない。その証拠に、社会科の資料集を熱心に読んでいたりはする。授業の内容そのものが難しすぎて理解できないわけでもない。というのは、その前の晩、予習と称して、ちょうどその単元の内容を家で母と一緒に学習していたからだ。この日、授業で取り上げられた内容の100%とは行かないけれど、70%くらいはその時に理解できていたと思う。養殖漁業などのことだったけれど、それが具体的にどういうことを言うか、ということも、説明したら昇平はちゃんと理解できていた。(「養殖はエンドレスだ」というつぶやきは、前日の母とのやりとりを思いだしているもの)
 理解できていたはずなのに、何故、5−2の社会科ではそれに関心が持てなかったのか?
 すでに学習してしまったことだから? W先生の教え方が下手だったから?
 NO!
 これも、答えは記録の中にはっきり見て取れた。昇平は「大勢の中で、先生の話している授業の内容を聞き取ることができない」からなのだ。

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 昇平は、先生が出す全体への指示を、まったくと言っていいほど聞き取れていなかった。個別に先生から言われて、やっと自分のやるべきことを知っている。けれども、それはただ「何をするか」を知っただけのこと。その行動(たとえば教科書のことばに線を引くとか、黒板に書かれたことを書き写すとか)が、授業の中でどういう意味合いを持っているのか、そんなふうにピックアップされたことばを「自分はどう受け止めなくてはならないか」、そこのところが理解できていない。
 それでも、ときたま単語で聞き取れることばがあるらしい。そうすると、今度はその単語と、自分の頭の中にあるイメージが結びついて、授業とは関係のない連想が始まってしまう。それが、勝手なお絵かきや質問、一人言となって現れている。

 以前からわかっていたことではあるけれど、昇平は本当に「聞き取る力」が弱いのだ。それも、少人数であればよほど良い。協力学級のような三十数名の大人数の中に入ってしまうと、とたんに、先生の声が聞こえなくなり、何を言われているのかわからなくなり、話も、ほんの時たま、切れ切れの単語で本人の頭の中に届くだけになってしまうのだ。
  また、教室全体の他の子たちの様子を見て、自分のやるべきことを知る力も弱い。だから、誰かの真似をして同じ学習をするのは難しい。

 ……これじゃ、授業なんてわかるわけがない。

 こんな状態でどんなに個別に声をかけられても、とてもじゃないけれど追いつかない。
 誰が悪いわけでもない。先生の教え方が悪いわけでも、同級生がそんな昇平を責めているわけでも、なんでもない。ただ「集団の中で社会科を受ける」というスタイルそのものが、昇平の能力に合っていなかったのだ。
 わからないから、面白くない。黒板を書き写すように言われても、その意味合いがわからないから、ただの字の練習になってしまっている。つまらない。それが、文句や不平不満、暴言となって現れていたのだ。
 
 社会科を特にピックアップしたけれど、同様の場面は、協力学級での他の授業でも時々見られるという。ただ、理科は目で見て理解できる内容も多いし、実験など本人の興味を引く活動も多い。体育、音楽も実技系で、耳で聞き取れなくても周りを見ながら一緒に行動できることが多いので、何とかなることが多いらしい。
 とはいえ、それらの教科も、学年が上がるにつれ内容が高度になり、やはり「聞いて理解する」場面が増えてきて、本人がしんどくなってきているのは事実らしい。

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 昇平は大勢の中で聞き取る力が弱い。目の前の場面の意味を見て理解することが難しい。
 これは動かしようのない事実だ。
 今でも、集会や運動会の開会式などでの昇平の様子を見ていると、前に立つ先生の話には全然関心を向けないで、手遊びをしたり、なにか自分勝手なことを頭の中で考えているのがわかる。たまに耳に入ってきた単語に反応し、周りの子たちの動きを見ては、あわててその真似をして動く。それが、大集団の中での昇平の姿だ。
 けれども、一対一から、一対三くらいまでの小集団でなら、昇平も非常によく話を聞き取れる。 だから、前の晩に母と予習したときには、同じ単元の社会科をよく理解したのだ。面とむjかって、一対一で学習したから。理解できれば、関心も高まる。今でも昇平は、その時に母と話し合ったことを思い出しては口にしている。「この魚は養殖? のりの養殖ってどうやるの?」などなど……。
 理解できないわけじゃない。関心がないわけじゃない。ただ、大集団の中では授業が聞き取れない。それに尽きていたのだ。
 母や先生たちが想像していた以上に、昇平の「集団の中で学習する困難」は大きかったのだ。

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 実は、それ以前に、ゆめがおかでの個別の社会科は可能かどうか、ドウ子先生や原先生に問い合わせて、「できると思う」という回答はいただいてあった。その上で、本当に協力学級での社会科が無理かどうか、ドウ子先生がじきじきに確認に行ってくれていたのだ。
 ドウ子先生がよこしてくれた授業の記録を見て、私は即断していた。
「これは、絶対にゆめがおかで社会科を学習したほうがいい。絶対に、その方が昇平には合っている」
 お友達の関わりは他の時間にすればいい。大集団で授業を受ける経験も、可能な範囲では必要なのだけれど、それは、もっと本人に理解しやすい教科でやってもらおう。
 一番大事なのは、「本人にわかる授業をしてもらうこと」。 それが、何にもまして優先されるべきことだ。
 私はその場で連絡帳に書き込んだ。
 「ぜひ、社会科はゆめがおかで受けさせてください」……と。

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 数日後、昇平が夕食にさつま揚げを食べながら、こんな話を始めた。
「今日、社会科で”すりみ”の作り方のビデオを見たよ。”すりみ”からカマボコとか作るんだよ」
 あ、と思った。5年生の普通学級での授業で、ここまで具体的な内容のビデオを見せるとは思えない。ゆめがおかでの社会科だな、と思って確認すると、その通りだった。
「”すりみ”ってね、魚を細かく切ってね、機械にかけてね、そしてね……」
 昇平が嬉しそうにビデオの内容を教えてくれた。とても関心を持って見たらしい。今度はカマボコを買ってくれ、食べたいから、とも言ってくる。
 それから、こんなことも教えてくれた。
「漁の絵も描いたんだよ。漁のいろいろを習ったんだ。L子ちゃんも一緒だったんだよ」
 どうやら、同じ5年生のL子ちゃんも、昇平が個別授業に移るのに合わせて、一緒にゆめがおかで社会科を学習し始めた様子。こうなると、個別授業ではなく、小集団授業と言うことになるのだけれど、「L子ちゃんもいっしょなんだよ」と言った昇平の声がなんだか嬉しそうだった。同じレベル・同じスタイルで同じように授業を理解できる同級生。その存在が、安心できてとても嬉しかったのかもしれない。

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 相変わらず、衝動的に乱暴な言葉を出る場面は続いていて、先日も仲の良かった下級生相手に「血祭りに上げるぞ」などとすごんで、以来、その下級生から避けられる、ということがあったらしい。
 本人は、そんなつもりはなかったようで、あわてて謝ったものの、相手からは怖がられたままで、とうとう昇平が号泣したという。すかさず、ドウ子先生が「人が嫌がることを言うと、友だちは昇平くんを嫌になってしまうんだよ。謝っても、人が一度嫌だと思ったら、簡単には戻らないんだよ」と指導されたようだが。
 衝動性をコントロールするための投薬も、分量の調節などをいろいろ試していくことになる。
 家庭では、乱暴で単純なことばではなく、もっと自分の気持ちを素直に表せる柔らかい表現を使うよう、昇平にうながしているところだ。思わず「殺すぞ」と言ってきたときには、「殺すじゃなくて、本当に言いたいことは何なの?」というように。
 暴言そのものを本人がコントロールできるようになるまでには、もう少し時間がかかりそうだけれど……。

 でも、そういう地道で長い取り組みを続ける一方で、「本人にわかる学習」を目指すことは、とても大事なことだろうと思う。それこそ、本人のセルフエスティームにも関わってくることだと思うから。

 一つの問題に取り組むための対応は一つではないのだと思う。
 様々な場面に合わせて、さまざまなやり方で、ひとつのことを目指す。私たちが取り組んでいるのは、そういうことなのかもしれない。
 学校の先生たちには先生たちにできることを、病院のお医者様にはお医者様にできることを、そして、家庭にいる親は親にできることを……。
 私たちが目指しているのは、昇平が理解の喜びを感じながら学べることと、本人と周りの人たちが共に気持ちよく過ごせること。
 それが『連携』というものの姿なのかなぁ、と最近考えている。

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 さっき、昇平に聞いてみた。
「5−2の社会科と、ゆめがおかの社会科と、どっちが難しい?」
 そうすると、昇平、うーんと首をひねって
「どっちかって言うと、ゆめがおかかな……」
 おや?
 そこで、今度はこう聞いてみた。
「じゃあ、5−2とゆめがおかと、どっちの社会科のほうが楽しい?」
「ぼくの教室の!」
 昇平の声が明るくなった。
 そうか。学習内容がしっかり頭に入るようになったからこそ、難しいかな、と感じるし、授業を通じてそれがわかるようになるから、「楽しい」と思えるようになったんだね。

 いろいろなことを考えさせられた昇平の社会科の授業。
 だけど、親としては、我が子が「わかるよ」「楽しいよ」と言ってくれるようになったことが、何より嬉しい。
 学校の先生方も、きっとそうなんだろうと思う……。

[06/07/06(木) 21:06] 学校 発達障害

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