昇平てくてく日記2

小学校高学年編

発達障害を思う

 生まれたときから「なんか変だ?」と思い続けていた昇平に発達障害があるとはっきりしたのが3歳の時。正式に「ADHD」という診断名がついたのが4歳の冬。あれから間もなく7年がたつ。その間に、私はホームページや親の会を通じて、日本での発達障害を取り巻く変化を目の当たりにしてきた。
 ……正直、こんなに世の中が変わるとは想像もしていなかったなぁ。

 あの頃は、インターネットを検索しても、参考になるようなサイトは両手の指で間に合ってしまうくらいだった。書店にも関係書籍はまったく見あたらない。診断を受けて「うちの子はADHDなんです」「自閉症なんです」と学校に話しても、「ADHDってなんですか? 新しい病気ですか?」「お母さん、自閉症ってのはこういうお子さんのことじゃないですよ」と一蹴されるという話を、しょっちゅう耳にした。それまでだって、「こういう子たち」はいたのだけれど、「できない子」「やる気のない子」「反抗的な子」と思われて、その中で片付けられてきたから、「この子たちを障害児といったら、ほとんどの子どもたちに障害があることになりますよ」と、さも親の心配のしすぎのように叱られたり。

 ところが、今は?
 ネットを検索すれば、自閉症、ADHD、LD、発達障害、すべてのキーワードでヒットするわするわ。まるで空の星の数のよう。(このブログも、その中のひとつなわけだ)
 関係書籍も山のように出版され、学校では研修会が開かれ、週刊誌や新聞には特集記事が何度も組まれる。ついに文科省も、発達障害児のためのガイドライン(正式名称「小・中学校におけるLD(学習障害),ADHD(注意欠陥/多動性障害),高機能自閉症の児童生徒への教育支援体制の整備のためのガイドライン(試案)」)を打ち出し、発達障害者支援法が成立・施行された。「発達障害」とよばれるハンディキャップをもった子どもや大人たちが「いる」ことを認め、その人たちに「配慮した」学校や社会を考えなくてはならないこと――を日本政府が宣言したのだ。
 もちろん、「宣言」したから翌日から対応ががらりと変わるなんてことはありえないし、いくら文科省や厚生労働省がガイドラインや法律を出したからと言って、すべての日本人が発達障害を理解したわけでもない。
 でも、昇平が診断を受けた当時と比較すると、「理解しようと努力している」人たちの数が、信じられないほど増えた。対応まで完璧とは言わない。だけど、一生懸命試行錯誤して、発達障害者がより良く生きられる方法を探す手助けをしてくれる人々が、間違いなく増えている。これは私自身が日々肌で感じていること。
 ADHDや発達障害を日本中に理解してもらうのに、あと30年はかかるだろう、なんて言われていたのになぁ……。10年たたないで、日本はここまで来ちゃったよ。
 すっごい。

 そして、発達障害を持つ昇平が成長していく様を、私はずーっとかたわらで見つめ続けてきた。片時も休まず、おもしろいこと、興味を引かれることがあると、すぐに日記に書きつづりながら。日本の発達障害を取り巻く変化と、ぴったり足並みをそろえながらここまで歩いてきた昇平と私たち。だから、「てくてく日記」は、日本の発達障害の変遷を保護者の目から見てつづった記録、ということにもなるのかもしれない。
 昇平は今、養護学級にいて、逆通級のような形で通常学級へ交流に行って学習し、彼自身の特性に合わせた指導を受けている。病院では指導や治療を受け、時々、親の会の療育プログラムにも参加している。正直、かなり理想的かな、とも思う。日本における発達障害の支援体制に、本当にまともに乗ってきたわけだから。
 とはいえ、だから問題がまったく発生しない、というわけではないのは、ご存知の通りだし、中学校から上に進んだときにも「理想通り」と行くかどうかは、はなはだ怪しいけれど。(苦笑)

 ここまでの7年間――障害があるとわかってからは8年間――私はずっと、何をしてきたのかなぁ、と最近振り返る。後悔しているわけじゃない。ただ、とにかく振り返ってしまう。自分たちの足跡を見たくなっているのかもしれない。
 そうして気がつくのは、この8年間、私自身は母親として、まったくスタンスが変わらなかったこと。最初の最初から、専門家に昇平を見てもらった翌日から、私はずっと、ひとつのことを思い続けていたのだ。
 ――昇平にわかるように。昇平が生きやすいように。そして、みんなも楽なように。
 私がやってきたのは、ただこれだった。理屈も理論も技術も、後から全部ついてきた。
 そのスタンスを根っこにして、私はずっと歩いてきた。昇平や、昇平を手助けしてくれる人たちと一緒に。そうしながら、新しく知ったり、理解したり、考えたり……いろんなことをしながら。

 昇平は間もなく11歳になる。ひとつの節目の時を迎えるのかな、という気がしている。
 親がべったりで彼の面倒を見たり、彼に関する対応をコーディネートしていく時代は、もう終わった気がしている。これからは、彼を取り巻く人たちに彼をお願いする場面がどんどん増えるだろうし、昇平自身が、そういう人たちに自分から援助を求めていくようになるんだろうと思う。そして、人々の中で、自分の力を発揮できる場面を探し始めるんだろうと思う。
 だからこそ、私は今、振り返っているのかもしれない。

 今回の記事に「発達障害を思う」というタイトルをつけようと思う。
 そして、これからも、発達障害全般に関わることを思いついたら、このタイトルで記事を書いていこうと思う。
 大きく変わった日本。でも、その中で8年間ずっと変わっていない私。日々休むことなく成長する昇平。
 彼がこれから向かう未来の日本は、どんな風景なのだろう?

 そんなことを、時折考えてみたいな、と思っている。

[06/07/19(水) 14:16] 療育・知識 発達障害

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