昇平てくてく日記2
小学校高学年編
トラブルが続いている
さて、夏休みが終わってから一週間が過ぎた。昇平は毎日元気に学校に通っている。
が、二学期開始と同時に、一学期と同じ問題が毎日起きるようになった。協力学級である5−2で授業を受けると、文句を行ったり、騒いだりして、授業の妨害をしてしまうのだ。
このトラブルは社会科の授業で一番顕著で、状況を分析してみたら、本人が「大集団の中で話を聞き取る困難」であるために、授業が理解できないことが一番の原因だとわかった。(→ 『社会科を小集団学習にする』 )
そこで、社会科に関しては5−2で授業を受けることをやめて、ゆめがおかで個別または少人数で学習するようになったのだが、ビデオなどの視覚支援教材はふんだんに使えるし、先生の話もよくわかるし……で、本人も社会科ががぜん面白くなって、「ゆめがおかで社会を勉強するようになってよかった」と笑顔で言うようになっていた。普段の生活の中でも、「この魚はどこで獲れたのかなぁ」とか「おじいちゃんやおばあちゃんが子どもの頃はどんな生活だったの?」と興味関心を持ったり、新幹線から見た田園風景に「耕地整備されている!」と目を輝かせたり、とその成果は現れている様子。
ところが、それ以外の協力学級の授業でも、昇平はかなりの割合で騒いでいるらしいのだ。私が把握しているだけで、学級担任の岩幡先生が受け持つ理科、体育担当で5−3担任のU先生、音楽担当で5−1担任のK先生、すべての5年生担任の授業で、同じようにトラブルを起こしているという。図工だけはどうかわからない。実技系だし、本人は図工は好きだから、そこではあまり文句を言っていないのかもしれない。
話を聞いてみると、本人が文句を言うのは、やはり授業の内容が口頭や黒板での『説明』が中心のときのことが多いらしい。ただ、理科は社会科と違って目で見て理解できる部分が多いし、実験や観察などの実技系の内容も多いので、授業内容の理解そのものは決して悪くない。これはテストの結果やチャレンジなどでも確認できている。理科に関しては、好きな実験・観察を「できない」時間が我慢できなくて、先生に対して「まだやらせる気か!?」などと文句を言いに行き、あるいは席でぶつぶつ言い続けて、周囲の子どもたちの迷惑になってしまっているらしい。
体育などでも、自分の出番でない「待つ」時間などがどうしても我慢できないらしい。昨日は水泳の記録会の練習だったのだが、自分の自由に泳ぎを楽しむことができなくて腹をたて、U先生の指示を聞かずに一人でプールに飛び込んで叱られたらしい。
我慢ができない、不平不満でいっぱいになったときの昇平は、非常に強固になる。協力学級の授業には介助の西尾先生が必ずついて行っているのだが、いくら落ちつかせようとしても、指示を出そうとしても、とても抑えようがないのだという。では、ゆめがおかの教室に戻らせようかと思うと、それにも断固として抵抗する。ときには騒がないこともあるらしいが、しょっちゅうこんな状況になるので、ついていっている西尾先生もすっかり疲労困憊してしまっている。
授業での先生の声かけは頻繁だと言うし、先生方だって、昇平を理解し、なんとか授業に参加できるように工夫してくれている。それなのに、昇平自身がそれに応えることができない。授業が思い通りにならない、自分の要求通りに進まない。そうすると、もう不平不満でいっぱいになって、それをことばや態度に出さずにはいられなくなる。(ただし、自分が予定計画していた通りに授業が進まないことにパニックになる、というのとは違うと思われる。あくまでも、「やりたいことができないと腹が立つ」「(自分にとって)大変な課題を出されるとカッとなる」という反応らしい)
授業中に騒ぐのは、本人が成長してきて、周りとの差異を感じてセルフエスティームを下げてきているからではないか、と考えたこともあったが、どうやらそれは違うらしい。担任たちのいわく、「昇平くんは、以前と全然変わっていません。同じです。ただ、周りの子どもたちが高学年になって大人になってきたことや、クラス替えがあって、昇平くんを知らない子どもたちや、久しぶりに同じクラスになった子たちばかりになったことで、今までのように『昇平くんならしかたない』という目で大目に見てくれなくなったことが原因だと思います」(ドウ子先生談)ということらしい。
つまり、周囲の子どもたちが大人になってきた中、ひとり幼い段階にとどまっている昇平が、結果として周囲から受け入れられなくなってきている、という状態なのだ。高学年になって授業内容が格段に難しくなってきたことも、不平不満を頻発させる要因になっているらしい。年齢が上がってきて昇平自身の意志や体力も強くなってきて、小さかった頃のように、大人の力で簡単にそれが押さえ込めなくなってきたのも原因のひとつにあるだろう。
今のところ、いじめなどは起きていないけれど、協力学級では「周囲の子どもたちが昇平くんから引いている状態」(ドウ子先生談)なのだと言う。昇平くんへの評価が下がる一方なので、早く何とかしなくてはならない、と先生も(もちろん私も)考えているのだが……現実は、非常に難しい。
トラブルが起きるたびに昇平は先生たちから注意される。状況を説明され、周囲の子たちや先生の気持ちを教えられ、自分の行動がその中でどう思われたか、自分が本当はどうするべきだったかを考えることになる。
実際には、昇平は「わかっている」のだろう、とドウ子先生は言う。ちゃんとわかってはいる。だけど、その場になると抑えが効かなくなってしまう。他者の目や気持ちにまで思い至らなくて、とにかく騒いでしまう。……あとから冷静になり、注意されて、涙ながらに反省する。その繰り返し。
自己コントロールの弱さ。そのことから、「わかっているのに失敗を繰り返す」「あとからそれを反省する」「なのに、その場面ではまた失敗してしまう」。それが続くことによって引き起こされてくるのは、本人と、本人に関わる先生たちのセルフエスティームの低下。ADHDが抱えている問題の本質そのものだと言うしかない。
そう、心配なのは本人のセルフエスティームだけではないのだ。昇平に関わる先生方全員のセルフエスティームが下がっていってしまうことも、本当に心配なのだ。
どの先生も、昇平のために一生懸命関わってくださっている。なんとか昇平を手助けしよう、授業に楽しく参加できるようにしよう、そんなふうに考えて、熱意と誠意を持って対応してくれている。だからこそ、昇平の様子に疲弊する。正直、私は、先生方がバーンアウト(燃え尽き症候群)になってしまうのも心配なのだ。熱意のある、真面目な良い先生ほど、そうなってしまうから……。
昨夜、布団に入って電気を消したら、昇平がしくしく泣き出した。「ぼく、明日から本当に騒がないで我慢できるかなぁ。5年2組で全然勉強できなくなったらどうしよう」と泣きながら言う。
自分でもわかっているんだよね。自分がやっていることが良くないこと、やってはいけないことなのは。本当はそんなことしたくないのに、その場ではどうしても我慢できなくて、ついつい口にしてしまう、騒いでしまう。それが自分でわかっているから、「その場になって、我慢することができるだろうか」と不安になる。
その日はたまたま病院で検査がある日で、私が学校まで迎えに行っていたので、昇平がプールの時間にしたことをドウ子先生や原先生に注意されて(言い聞かせられて)いる場面にも遭遇していた。なので、先生が言っていたことを、そのまま繰り返してあげた。
「大丈夫、ドウ子先生も言っていたでしょう? 西尾先生や他の5年の先生方の言う話を聞くの。聞こうとすればね、ちゃんと言われていることがわかるから。わかれば、昇平くんはきっと我慢できるようになるから」
昇平くんは、ドウ子先生やお母さんの言うことなら、ちゃんと聞こえて我慢することができるでしょう? だからね、他の先生たちの話も、一生懸命聞こうとすれば、きっと我慢できるんだよ。だから、大丈夫なんだよ。自分でそんな自分を変えたいと思うなら、きっと必ず大丈夫になっていくんだよ……。
そんなふうに話して聞かせながら、トントンと体を叩いてやっていたら、そのうちに昇平は眠ってしまった。
そう、いつかはきっと、自分で我慢できる日が来ると思う。彼なりのレベルで、ではあっても。
ただ、それまでの間に周囲の評価が下がって、いじめや仲間はずれや、本人のセルフエスティームの低下につながるのが怖い。そして、同時に、先生方が燃えつきてしまうのも怖い。
だからといって、完全に昇平をゆめがおかだけの学習にしてしまうのも考えてしまう。それでは学校集団との接点がまったくなくなってしまうし、なにより、昇平自身が悲しむから。昇平自身は5−2で他のみんなと一緒に勉強したいのだ。「みんなと一緒の勉強」も、彼は本当は好きだから。
昇平には障害があるんだから、周りの人たちが我慢するべきだ、なんて、私は考えない。配慮は必要だけど、一方的にどちらかが我慢する生活なんて、それは間違っている。
障害の本質から来る問題は、解決が非常に困難で、おそらく、本当の意味で「大丈夫になる」日なんてのは生涯来ないのだろうと思う。だけど、そんな中でも、本人と先生と周りの友だちとが、みんなそれなりに気持ちよく暮らせる生活というのは、望んでも良いのだと思う。
そのためには、どうしたらよいのか……。
ドウ子先生たちも私も、それを今、一番に考えている。
とりあえず、私は今日病院へ行って、主治医に相談してこようと思っている。
[06/09/01(金) 08:48] 学校 発達障害