昇平てくてく日記2

小学校高学年編

連携して解決を目ざす・4

 さて、ドウ子先生手作りの「怒りのバロメーター」を持ち帰ってきた土曜日の夕方のこと。
 台所で夕飯の支度をしていた私のところへ、昇平が半べそ顔で飛んできた。青ざめている。昇平がこういう表情で来る場面は、いつも決まっていので、すぐわかる。兄ちゃんが同じ部屋にいて、ゲームをしていてうまく行かなくなって、イライラして文句を言い出したときなのだ。
「兄ちゃんが、ゲームがうまく行かなくて怒ってるの?」
 と尋ねると、そうだ、とうなずく。一見落ちついているように見えるけれど、実際には、昇平の内側は爆発寸前。猛烈に腹を立てている状態なのはわかった。
 けれども、台所にいて、2階から兄ちゃんの怒りの声などは聞こえてこなかった。昇平は聴覚過敏を持っていて、特に、人の怒りの声や泣き声に非常に敏感に反応する。実際には兄ちゃんはそれほどうるさい声で言っていたわけではないな、と見当がついた。(実際、後で兄ちゃんに直接確認したら、ごく小さい声でブツブツ言っていただけだと分かった。)それを昇平に文句を言われて、兄ちゃんがさらに不機嫌になったのかもしれない、とも思った。
 見当はついたけれど、なにしろ感覚の問題が絡んでいるから、とても常識や説得などでおさまるはずはない。早速「怒りのバロメーター」が欲しいところだったけれど、それは二階に置いてあったし、それを取りに行くと、喧嘩したばかりの兄ちゃんと出くわすことになって、それはそれでちょっとまずいだろうと思い、昇平に口頭で聞いてみた。

 「今は、怒りは何パーセントくらい?」
「100%だよ!!」
 と怒鳴るように昇平が答えた。うん、確かにそのくらい怒ってるね。
「100%かぁ。それくらいすごく嫌な気持ちなんだね」
 心理士のW先生のアドバイスを思い出しながら、実は私も必死で受け答え。まずは、昇平の気持ちをことばにして受け止めてあげること……。難しいな。今ので受け止めたことになるのかな?
「この世は悪いことばっかりだ! 兄ちゃんなんか、この世から消えてしまえばいい!」
 と昇平が続ける。これは、「殺すぞ」に非常に近い表現。こういう言い方でしか、自分の気持ちが表現できないってのは本当だね。
 「うん、昇平くんが兄ちゃんのそういう声を大嫌いなのは分かってるんだけどね――えーとね――兄ちゃんのその声は、普通の人が聞いたら、『静か』な声なんだよ。だから、兄ちゃんにしても他の人にしても、そんな兄ちゃんの声を『うるさい』と思わないんだよ」
「でも、うざい! 我慢できない!」
 と昇平がわめき続ける。涙さえにじませて。そうだね。感覚は一人ずつが違ってる。自分は本当につらいと思っていることを、他人から「普通はそうじゃないんだぞ」と言われるのは、とても悲しくてつらいことだよね。
「昇平くんには、それくらいでも我慢できないくらいうるさいのはわかってるよ。でもね、兄ちゃんは、自分の声をそんなにうるさいとは感じないんだよ。だからね、逆に、『こんな小さい声で言ってるのに、これのどこがうるさいんだ』って思うんだよ。それでね、兄ちゃんもおもしろくなくなって、怒りが増えちゃうんだよ」
「……じゃ、どうしたらいい!? 死ぬしかないか!?」
 涙ぐみながら昇平が言う。「死ぬしかない」も出てきてしまった。
「そんな必要はないよ。兄ちゃんだって、いつまでも怒ってるわけじゃないんだから」
「怒ってるよ! 一生怒ってる!」
「そんなにいつまでもは怒っていられないよ。今は、ゲームがうまく行かなくて、イライラして怒り100%なのかもしれないけれど、そのうちだんだん下がってきて、そのうち0%に戻るんだから。それまで待っていればいいんだよ」
「……どうやって?」
「怒りが下がるには少し時間がかかるからね。それまでの間、台所にいなさい。台所で待っているうちに、兄ちゃんの怒りも収まってくるから。はい、お母さんの携帯を貸してあげる。これでゲームをやって、兄ちゃんが落ちつくのを待ってなさい」

 「兄が怒ったときには、そっとしておいて怒りがおさまるのを待つ」(本当は、「怒り」というほど強いレベルのことでもなく、「ちょっと不機嫌」程度のことが多いのだけれど)ということを昇平に納得させるのは、いつもならば、とても手間がかかる。
 ところが、この日は、「怒りのバロメーター」で「怒り」の感情が増減すること、0%に戻ることもあるのだ、ということを目で見て、かなり納得していた。もしかすると、待っているうちに怪獣の怒りの炎がすーっと小さくなっていく様子も、頭の中で思い浮かべていたのかもしれない
 とにかく、意外なほどすんなりと私の話に納得すると、台所の椅子に座って携帯ゲームを始めた。
 10分くらいたってから、用事で私が2階に上がるついでに昇平を連れて行くと、兄ちゃんはすっかり落ちついていた。(と言うか、最初からそれほど怒ってはいなかったのだと思う。) そんな兄を見て、昇平も安心してまた部屋で遊び始め、さっきの騒ぎは何だったの? というような状態になってしまった。
 「怒りのバロメーター」は手元になかったけれど、それで理解したことは、さっそく家庭でも役に立ったのだった。

 では、学校ではどうだろうか?
 以下は次回に続く……。

[06/10/21(土) 13:47] 学校 日常 療育・知識 発達障害

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