昇平てくてく日記2

小学校高学年編

連携して解決を目ざす・7

 臨床心理士のW先生のに相談してから、ちょうど一週間たった木曜日。私は昇平を連れて病院へ行った。
 この日は通常の診察日だったのでW先生には会えなかったが、主治医のY先生に、W先生のアドバイスに従って担任が“怒りのバロメーター”を作ってくれたこと、それを元に感情の確認や受け止めをしていたら、本人が電話の時などに「イライラした」と自分の感情を適切に表現できるようになったこと、などを報告した。
 Y先生は“怒りのバロメーター”を見ながら、「これはいいですね」と感心。さらに、昇平が「イライラした」と言ったことを、とても喜んでくださった。
「そんなふうに、自分の気持ちをことばで外に出せるようになることが大事なんですよ。自分の気持ちを周りに伝えられれば、イライラして怒りたい気持ちだって起こらなくなってくるわけですからね」
 ……なるほど。
 自分の感情を、ポジティブ、ネガティブにかかわらず、きちんと自覚すること。それをことばにして周囲に伝えていくこと。そして、それを周囲が理解して受け止めてくれること。そうすれば、確かに、怒りのような激しい感情であっても、そうそういつまでも続くわけではないのだ。
 今まで、制止しても制止しても、「殺す」「死ぬ」ということばが出続けたのは、それしか自分の気持ちを表現することばを持たなかったことに加えて、そのことばが周囲に受け入れてもらえなかったからなのかもしれない。「殺す」ということばに載せている気持ちは、本当は、「殺したい」ではなく、「我慢できないほど、ものすごく嫌だ」という気持ち。それが周りに受け止めてもらえないから、なおさらに「殺す!」「ぶっ殺してやる!」と繰り返していたのかもしれない。それがますます周囲の理解を遠ざけて、悪循環に陥っていたのかもしれない。

 あれからずっと様子を見ているけれど、まだ、「殺す」「死ぬしかない」は時々口を突いて出てくる。でも、家でそれを言ったときに、「本当はどう言いたいの?」と聞き返して、「本当は、そんなのイヤだ、って言いたいんでしょう?」「そういうときには、ごめんなさい、もうしません、って言えばいいんだよね?」と促せば、うん、と素直にうなずくようになった。「殺す」も「死ぬ」も回数が激減している。

   ☆★☆★☆★☆

 昨夜、こんなことがあった。
 寝る前に、昇平がある「良くないこと」をして、私にかなりしっかりと叱られた。昇平は叱られた時の常で、自分で自分の首を絞める真似をして、「死ぬしかない」のゼスチュア。ことばで口に出さないだけ、少し自制しているかも?
 そこで
「そんなことはしなくていいんだよ。そのくらい深く反省してるって言いたいんでしょう?」
 と言うと、昇平は、うん、とうなずいた。……ただし、私の口調は決して優しくはなかった。まだ「怒っているお母さんモード」だったので。
 すると、昇平が布団にくるまって、やがてポロポロと涙を流し始めた。
「ぼく、落ち込むくらい悲しい気持ちになってる」

 ――え、今、なんて言ったの?
 聞き取れなくて、何度も聞き返してしまった。だって、昇平が「落ち込むくらい悲しい気持ち」だなんて、自分の感情を表現したのは初めてだったから。
 やっと聞き取ることができて、
「そんなに悪いことだとは思わないで、ふざけてやっただけなのに、お母さんにたくさん叱られたから、落ち込むくらいすごく悲しくなったわけ?」
 と聞き返すと、また、うん、とうなずいた。本当に悲しそうな顔。
「そうか。じゃ、そのくらい悲しい気持ちで反省したから、もうあんなことはやらないよね。だったら、それでもういいんだよ。お母さんも、もう怒らないから」
 本当に、私の「怒りモード」も解除になって、いつの間にか「優しいお母さんモード」に切り替わっていた。
 気持ちを適切なことばで伝えてもらう、ということには、本当に思いがけない力がある、と思った。たとえ「死ぬしかない」と言ったとしても、私には昇平がどんな気持ちでいるかはわかっていたけれど、そのことばで言われたときには、こんなふうに優しく「もういいよ」とは言ってあげられなかったから。
 ことばの力って、本当に、思っている以上に偉大なのかもしれない……。
 つくづくと、そんなふうに思いながら、いつもの楽しい母子の読書タイムに切り替えて、それはもう終わりにすることができた。

   ☆★☆★☆★☆

 家庭の中ではこんなふうだけれど、きっと学校でも、同じような変化や効果は現れてくるだろう。そして、時間はかかっても、今度こそきっと、「殺す」「死ぬしかない」のことばから、昇平は卒業していけるんじゃないかと思っている。
 やっぱりこれは、専門家と学校と家庭とが、相談し合い手を携えて解決を目ざした成果じゃないかな……と考えながら、今朝も、登校していく昇平の後ろ姿を見送った。

 (「連携して解決を目ざす」シリーズ、これにて完了)  

[06/10/25(水) 10:06] 学校 日常 療育・知識 発達障害

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