昇平てくてく日記3
中学校編
地域と共に生きるということ
昇平の障害がわかったばかりの頃、よく聞いたことばがありました。
「親だけが頑張りすぎないで、地域の中で育てていきましょう」
でも、「地域」の意味がよくわかりませんでした。
地域って何のことを指すんだろう? 地域の中で育てるって、具体的にどうすること?
住んでいる場所から動かないようにして、その場所で育てましょう、ということ? 地域=子ども会や町内会? 子育てをご近所さんに手伝ってもらいなさい、ってこと? だけど、近所は日中仕事で留守のお宅が多いし、子どものことを話すにしても、誰にでも話せるってわけでもないし……。
なんとなく釈然としないものを抱えたまま、とにかく動き出しました。始めてみれば、やることは次々現れました。病院に通い、保健師さんに勧められて子育て広場に参加し、保育園に入れ、発達障害児の親の会に入り、小学校に入学し、中学生になり――。
とにかく手のかかる、大変な子です。生活するためにクリアしなくちゃならない課題はたくさんありました。着替え、食事、排泄、歯磨き、歯医者、小児科、床屋、買い物……。それらをひとつずつ教えながら、練習させながら、自分でできるようになっていくことを目ざしてきました。病院ならば、きちんと先生の診察や処置を受けられることを目標にしました。
そのうちに、歯医者でも床屋でも行きつけの店屋でも、昇平の顔を覚えてくれました。ちょっとだけ普通じゃないから、ちょっとだけ目配りと手助けが必要な子どもです。行っただけで、「あ、来たね」という表情をしてもらえるようになりました。迷惑顔ではありません。「あ、この子にはちょっと気をつけてあげなくちゃ」と大人たちが考えてくれている顔です。
おかげで、昇平は今では少しも騒ぐことなく歯医者で治療を受けることができます。歯医者さんのほうでも昇平の特徴を呑み込んだので、どんなふうに治療をするのか、どのくらいの時間がかかるのか、聞かなくても教えてくれます。以前は「あと○回削ったら終わり」と何度も話して聞かせなくては安心しなかった昇平が、今は回数なんか聞かなくても、信頼して先生に口を開けて削ってもらっています。
床屋には今では一人で行っています。こちらも、昇平のことはすっかりわかっています。待たせることもなく、素早く髪を刈り、シャンプーをして、顔を剃ってくれます。今日も自分だけで行ってきて、「顔を剃るときにくすぐったくて笑っちゃったら、床屋さんに『動くと危ないから、次はがんばるんだよ』って言われた」と言いながら帰ってきました。
中学になって自転車に乗るようになってからは、時々自転車を壊します。転んで壊すこともあるし、お古の自転車なので部品が寿命を迎えることもあります。町に外出して壊れたときには、昇平は自分の判断で自転車屋さんに持っていって、直してもらっています。最初に自転車屋の場所を教えて、ここで直してもらうんだよ、と教えたら、次からは自分でやり始めたのです。
行きつけの眼鏡屋も町中にあります。眼鏡のねじが緩んでレンズが落ちたときには、やはり自分で眼鏡屋に持ち込んで直してもらってきました。
自転車屋のおじさんも、眼鏡屋のおじさんも、昇平のことは顔を見ただけでわかってくれます。
生活していくうえで、ちょっとずつ手助けがほしい場面、というものがあります。そんなとき、行きつけのお医者さんや店屋さんが、昇平を覚えていて、さっと手助けしてくれます。小さな町のことです。「○○するんだよ」と教えてくれるおじさん、おばさんも大勢います。
こうなってみて、初めて私も「地域で育てる」ということばの意味がわかった気がしました。
地域で育てる、というのは、地域に暮らしている人たちに、昇平という子どものことを知ってもらうと言うこと。それは同時に、親である私のことも覚えてもらうということ。
最初はどこへでも私が付き添っていたけれど、昇平が大きくなってきて、少しずつ自分のことを自分でやり始めたとき、行きつけの店ならば、思い切って昇平を送り出すことができました。何かあったら、すぐに自宅にいる私のところへ連絡がはいるはずだとわかっていたからです。
そんなふうに「私たち」の存在を知ってもらって、一緒に生活しているものとして、私たちを支えてもらう……それが、地域で生きる、ということだったんですね。
そうなれば、こちらが助かるのは当然ですが、先方だってお得意様が一人増えるわけだから、お互いにとってありがたいわけです。
なにもかも親が抱え込んで、家庭の中だけで何とかしようとすると、こういう協力者はなかなか見つからないだろうな、と思います。
はらはらすることも多かったし、慣れるまでは先方もこちらも大汗をかいた時期もありましたが(特に歯医者とか)、それを越えた今は、本当に楽になりました。歯医者も、もうすぐ自分一人で診察室に入って治療を受けられそうです。
地域で育てる、ということは、地域の一員として、堂々と生きていく、ということなのかもしれません。もちろん、手はかかるし迷惑はかかるから、いろいろ気をつかったり、謝ったりすることも多いのですが、それも将来子どもが自立していくための大事なステップなのだろう、と今は思っています。
私たちはたくさんの人たちに支えられているなぁ、と感じます。
人間は、本当はみんなそうなのだけれど、こういう子育てをすることで、なおさらそれを感じるのかもしれません。
感謝の気持ちは忘れないようにしながら、これからも地域の中で生きていきたいな……と思います。
[09/06/06(土) 15:09] 地域社会