昇平てくてく日記2

小学校高学年編

「親ががんばりすぎないこと」を目ざして

 昨日から県内の公立小中学校は三学期が始まった。
 ずっと暖かい日が続いて、まったく雪の降らない珍しい冬休みだったが、子どもたちの新学期を待ちかねたように、朝起きてみると3センチ余りの積雪で、昇平は大喜び。車で学校まで送らなくてはならない母は、初積雪にちょっと緊張。でも、日中は天気が良かったので、夕方には日陰に少し白く残るだけになってしまった。出だしの遅い冬だったけれど、これからは本格的に寒くなって、雪の日も多くなってくるんだろうな。

 さて、冬休みの間にいろいろと成長ぶりを見せてくれていた昇平だが、学校が始まってどうだったかと言うと――さっそくパニックを起こして大騒ぎをしてきた。(苦笑)
 事が起こったのは、下校の時。協力学級の5−2で帰りの会を終えた後、一緒に帰る友達と一緒に校内の公衆電話まで行き、昇平はいつものようにテレカで私の携帯へ電話をかけた。「これから帰るから」と連絡を入れてから昇平たちは下校し、私は時間を見計らって、途中の待ち合わせ場所まで車で迎えに行くのだ。
 ところが、いくらかけても、私の携帯が話し中になっていてつながらない。昇平は怒り出し、電話に向かって悪態をついたり、電話機を叩いたり。保健室の前の電話機なので、驚いた養護の先生が出てきて、話しかけたり、一緒にかけたりしてくれたのだけれど、やっぱり携帯は話し中のまま。昇平はかんしゃくを起こして(と見えるけれど、実はパニックを起こして)養護の先生に殴りかかったり、そばにいたお友だちを叩こうとしたりした――俊敏なお友だちなので、さっとかわして無事だったそうだが――というのが騒ぎの有様。
 カードを入れるホルダーに自宅の電話番号も書いておいたので、そちらへかけてきて、やっと私と連絡が取れたのだが、実は私の携帯はその間まったく鳴っていなかった。誰かと長電話していたわけでもない。着信履歴もなかった。
 原因は、携帯電話の番号非通知の拒否設定。実はつい二、三日前に機種変更をしたばかりで、以前の機種ならば、その設定をしていても公衆電話から普通に受けられたのだが、今度の機種は、公衆電話からの電話も番号非通知と判断してしまっていたのだ。

 電話口で昇平がパニックを起こしているのは分かったので、いつもの待ち合わせ場所ではなく、学校の方まで迎えに行った。見つけたときには、もう昇平は普通の顔でお友だちと一緒に歩いていましたが、私の顔を見たとたん、またかっかと怒り出し……。
 小学校から自宅まで、子どもの足で歩けば1時間以上かかってしまう。昇平はまだ、自宅まで歩いて帰った経験がないので、母が迎えに来なければ、自力で家に帰ることができない。それが分かっているからこそ、母が迎えに来なかったらどうしよう、母の携帯と連絡が取れなかったらどうしよう、と不安になって、パニックを起こしたわけだけれど。
 昇平を車に乗せ、途中のスーパーに立ち寄って、そこの公衆電話から私の携帯に電話してみた。原因が番号非通知拒否設定にあることをつきとめ、設定解除して、ちゃんと公衆電話からも電話できることを確かめさせたら、昇平もやっと安心した顔になり、その後はニコニコご機嫌になった。論より証拠。目で見せて、耳で実際に聴かせるのが、昇平には一番納得ができる。
 後になってから、養護の先生から連絡を受けたドウ子先生が学校から電話をかけてくれて、昇平がどれほどパニックを起こして大騒ぎしていたかも分かって、電話口で冷や汗をかいたけれど。
 その後、昇平には、思いがけないことがあってもあわてないように、携帯につながらないときには自宅に電話するように、と改めて言い聞かせた。

   ☆★☆★☆★☆

 言ってみれば、この騒ぎの原因は、私の予測不足、準備不足にある。
 携帯の機種変更をしたのであれば、ちゃんと公衆電話からも電話がかかるかどうか、あらかじめ確認しておくべきだった。携帯につながらないときには自宅へ、とは以前から昇平に言い聞かせていたけれど、冬休みが間にはさまったのだから、新学期を前に、もう一度確認しておくと良かったのかもしれない。
 そう考えると、今回の騒動の責任は、とにかく母親の私にあるような気がしてくるのだけれど……。

 でも。

 私の今年の目標は、「親ががんばりすぎないこと」。
 親である自分が無理をして、倒れてしまうのが怖いからではない。親ががんばりすぎて、何でも先回りして準備を整えてしまうことで、逆に子どもの経験や成長の機会を奪ってしまうのはまずい、と考えるようになってきたからだ。
 正直、子どもにパニックなど起こさせたくはない。本人もかわいそうだし、周りにも多大な迷惑がかかるのだから。起こりうるあらゆる事態を想定して、それに備えておけば、100%とは行かなくても、かなりの部分、危機を回避することはできるのだろうけれど。
 だけど。
 昇平がここまで大きくなってきた今、本当にそれでいいんだろうか、と私は思うようになってきている。
 この世の中は思いがけない出来事が次々と起こってくるもの。予定通り、計画通りスムーズに事が進行することのほうが珍しい。人は人として生きていく限り、その予定外の連続の中を、なんとか乗りきっていかなくてはならない。
 昇平も多分にもれず、予定外の出来事にはとても弱い。どうしていいのか分からなくなって、大騒ぎして、時には手も出る足も出る。今回のように。
 私が最大限気を回して、起こりうる全ての出来事を想定して、それに対処しておけば、こんな騒ぎは起こらなかったかもしれない。それで下校時は平和に過ぎたかもしれないけれど。
 でも、それは昇平自身の力で危機を越えたことにはならない。親の目配りの中、大人の配慮の中でならばやり過ごせるけれど、それがなくなってしまったとき、彼は自分ではどうにも対処できなくなってしまう。

 もちろん、本人の中に対処できるだけの力が育っていないときには、親や周囲の大人が配慮、対応することは絶対必要だと思う。これまでの昇平のように。
 でも、今、昇平は、おぼつかない足取りではあるけれど、少しずつ少しずつ「自分で」やってみようとし始めている。一度は予定外の出来事に驚いて大騒ぎしても、その時の切り抜け方を経験すると、次にはちゃんとそれを活用するようになってきている。
 1学期の時に、私が待ち合わせ場所に到着するのが遅れて、迎えに来ないのでは、と心配になった昇平のために、Mくんが外の公衆電話からもう一度電話をかけることを教えてくれたことがあった。その経験は、しばらくたって、昇平が学校から電話をかけ忘れて、待ち合わせ場所まで一人で行ってしまったときに、あわてることなく外の電話から母に電話をかける、という行動につながった。→ 「半分自力下校への挑戦・5」
 早とちりで忘れ物をしたと思って、朝、「忘れ物を持ってきて」と母の携帯に電話をかけてきた昇平。その時は単なる勘違いで、母が届けたものはその日の授業には必要ないものだったけれど、次に本当にお弁当を忘れたときに、昇平はやっぱり自分から母に「今日はお弁当だよ!」と電話してくることができた。→ 「お母さん、大変だ!」
 そんなふうに、一つ一つの経験が――大騒ぎやパニックを起こしながらではあるけれど――しっかりと、次に起こった本当に困った事態の切り抜け方につながっている。
 そんな昨年の昇平の姿を見ていたから、私は、今年はあえて昇平自身とその周囲の人たちに、昇平の成長を委ねてみよう、と考えた。何もかも先回りして、完璧に「備えて」しまう母親をやめよう、と思ったのだ。

   ☆★☆★☆★☆

 でも、本当のことを言うと、私は周囲の人たちに迷惑をかけたり、負担をかけたり、ということをとても心苦しく感じてしまうタイプ。自分が迷惑をかけられるのはあまり苦にならないのだけれど、自分たちが迷惑になっているかも、と思うと、とたんに申し訳なくなってしまうのだ。
 昇平がまだ幼くて、多動衝動性が全開で、どこででも周囲に迷惑をかけ通しだった頃には、漫画『「光とともに・・・』の幸子ママのように、「この子と二人で山奥にでも行って、誰にも迷惑をかけることなく、ひっそりとそこで暮らしたい」とさえ考えていた。私がそれを実行しなかったのは、ただ長男と主人がいたからだった。昇平のためだけに、他の家族を捨てることはできなかったから。
 今でも、私のその性分は変わってはいないから、昇平がパニックを起こすたび、周囲に迷惑をかけたりトラブルを起こしたりするたびに、やっぱり申し訳なくて申し訳なくて、昇平と一緒に世間から消えてしまいたいくらいの気持ちになったりする。

 だけど――そんな時、今は主治医のことばが浮かんでくる。
 昇平が学校でこんな事件を起こしました。あの人とこの人と、こんなトラブルを起こしました。どうにもやっぱり人間関係がとても難しそうです。そんな報告をすると、決まって主治医はこう言うのだ。
「でも、今のうちにそれを経験させておくことが大切なんですよ、お母さん。今のうちなら周囲からも許してもらえるんです。適切なやり方を本人に教えることもできるんです。これを経験しないままに大人になってしまったときに、本当に周りも本人も困ることになってしまうんですよ」
 病院には発達障害を持つ成人患者も大勢来ている。その人たちやその家族が、どんな苦労を抱えているのか、主治医は毎日目の当たりにしているのだろうと思う。

 だから、やっぱり私は「がんばりすぎないこと」にした。
 先回りしすぎない、と言うことは、今まで以上に予想外のことが起こりやすいと言うことだし、それだけ昇平がパニックを起こしたり、騒ぎを起こしたりする可能性が増える、ということでもある。
 もちろん、投げ出したりするつもりはない。手は出さなくても目は離さないでいるつもりだけれど、でも、その目のかけ方も、今までよりはもう少し――後手に回っても良い、まずは本人にやらせてみよう、と思えるような――そんな見守り方でいたいと考えている。
 事件のたびに私は申し訳なくなるし、どうしようもなくつらい気持ちにもなるのだけれど、それでもこれは昇平に必要なことなんだ、と自分自身に言い聞かせて……。
 親はたいてい、子どもより先にこの世を去る。その時、親の役目を、昇平の兄弟である兄ちゃんに肩代わりさせたいとは思わない。
 昇平には昇平自身の力で、彼なりに社会を生きていけるようになっていってほしいと思うから……。

 今年は昇平にとって、いっそうの試練の年になるかもしれない。彼のことだから、経験したことはきっと、そのまま自分の力にしていくのだろうけれど。
 そして、母親である私にとっても、今年は試練の年になるんだろうな、と考えている。

 はぁ。親はやっぱり忍耐だなぁ。
 でもまぁ、昇平や兄ちゃんがいてくれるおかげで、私はとても幸せだから。
 今年は本当に、肩に力を入れすぎることなく、昇平の足取りを見つめつつ、マイペース、アウアペース(our pace)で進んでいきたいな、と思っている。
 先は長いぞ。がんばりすぎることなく、がんばっていくぞ。
 お〜。

[07/01/10(水) 14:18] 学校 日常 療育・知識 発達障害

[表紙][2007年リスト][もどる][すすむ]